2022.2

  • 2022.2.28

    2月の欠損、3月の満足。2月の前半は日本にいて、後半はアメリカにいた。そして、いま。卒論の第2章を(ほぼ)書き終え、ほっとしている。昨日、今日と2日連続、8時間ずつをかけ、終わらせた。気持ちがいい。ずっと座りっぱなしだったので、夜の住宅街を軽く散歩した。玄関の明かりがついている家がちらほら。アメリカの住宅は夜になっても明かりを消さないところも多い。私が住んでいる家もそうだ。なんでだろう。でも、なんか消すと危ない気がする。やはりアメリカにいると、夜はとくに少しだけ怖いと感じる。しかし、あたりは死んだように静か (dead silent) だ。上を見上げれば、星がくっきりと見える。田舎ならではの光景だ。星座はよく知らないが、紙では見たことのある形が空に映っている。というか、ある。

    アメリカだと日本以上に星座のことを気にする人が多い。星座占いは、日本では朝のニュースでみて、一喜一憂するくらいで、一日の途中で忘れてしまう。アメリカでは星座占いはホロスコープと呼ばれ、Sun、Moon、Rising の三つの星座の種類のようなものを皆それぞれ覚えている。私は一昨日くらいにこの話題が出たので調べたが、もうすでに忘れてしまった。私は大切なことを忘れて、無駄なことを覚えてしまうタイプなのだ。しかも、それらの星座の種類は占いや個人の性格を判定するために使うのではなく、他人との関係を判定するために使う。例えば、みずがめ座とおうし座の相性が良いとか、やぎ座とさそり座は友達になりにくいといったように。アメリカの人のほうが他人のことを気にするのかもしれない。

    2月は欠損している。28日で終わる唯一の月だから、他の月より短い。しかし、うるう年には1日増える。でも、それでも足りない。3月は満足している。別れの季節だとはいうものの、2月の物寂しさに比べたら、ずいぶんマシなものだ。それも私自身、3月に別れ、そしてそれに伴う苦しみを経験したことがないから、こういうことが言える。それは私が多くの人と深い関係性を構築しない、あるいはできないからだし、それでいいと思っている。ただ、それは3月が「別れの季節」だと主張してくるやつらがいるかぎり、なにか嫉妬のような感情が生み出す。なにか「別れの季節」という言葉には純粋な、清廉潔白ななにかがある。それは「青春」と呼ぶこともできるだろう。私は別れに嫉妬している。純粋な、清廉潔白な別れを。さよならを伴う別れなど数少ない。だからこそ、3月は満足に満ちている。満ち足りていることに満ちている。

    3月には期待したほうがいい。欠損した日付をカレンダーから破って、進んでいく3月は清々しい。そう祈るばかりだ。今日くらいはハッピーな曲を聴いてもいいだろう。

    2022.2.28
  • 2022.2.27

    今日は一日中、卒論を書いていた。第二章の途中まで。あまり時間はないが、集中して取り組めたと思う。今日は疲れたので、いつもより字数は少なくなると思う。

    一昨日くらいから、試験的に日記の最後に「その日の曲」みたいなことしているが、それを習慣化しようかな。今日の曲はOGRE YOU ASSHOLE の「わかってないことがない」。『workshop 3』というライブ音源集に入っているバージョンだ。これも「あえて」なにかを言う/言わないことと関係していると思っている。そして、クィアであること。今日は余裕があれば、自分のセクシュアリティについて書こうかなと思っていたが、今日はそんな心の余裕がないので、また後日に譲ることにしよう。

    「冷笑」という言葉に引っかかっている。いまの時点でよくみるのは、反戦のような「当たり前」の主張に対して、「戦争反対と言っても、戦争は無くならない」というような批判を、反戦を主張している側が「冷笑」だと言っているものだと思う。僕自身もどちらかといえば「冷笑系」のほうに当てはまるのかもしれない。「冷笑」というと「他人の主張をあざけ笑うように否定する」という意味合いがあるから、そうなるとそうではないと思ってしまうのだが、批判的という意味においては、僕は「当たり前」のことを言うより、あえて「当たり前」のことを言わない立場をとってしまう。ここでも「あえて」の話になる。あえて冷笑することは、ただ冷笑することとなにが違うんだろうか。

    二つのことを考えている。ツイッター、あるいはインターネットにおける戦争に対する言説について。一つは、反戦の主張をすることの価値がインターネット上では格段に減少してしまうこと。つまり、インターネット上の言説はすべて増幅可能だ–簡単に言えば、コピーアンドペーストができる–から、あるひとりから出される単一の声というものが原理的にない。MeToo運動に代表されるハッシュタグ・ポリティクスにおける問題点は、すでに多くの人たちに指摘されているように、差異が連帯によって隠されてしまっていること。もちろん連帯というのは白人シス女性だけの連帯なのだから云々という批判がフェミニズムの歴史上あったわけだ。では、同じことを言っても意味がないのか、という問いが出てくるわけだが、それはまたべつの話だ。

    二つ目は想像力のこと。私たちは遠く離れている相手に対して想像力を持て、という言説をよく目にしたり、聞いたりする。だが、この戦争において想像力というもの自体が成り立っていない気がする。シェルターに隠れて「死ぬかもしれない」と画像つきでツイートする人や、ウクライナの女性がロシアの軍人に向かって怒りの言葉を浴びせる動画。すべてがわかってしまっている。想像力を働かせるというより、この画像や動画がホントウなのかウソなのかを判断しないといけなくなっている。他人との距離がゼロになりつつあるなか、想像力はもはや意味をなすのか。それでも想像力なのか。

    と書いていると、自分が書いていることが「あっている」のかが気になってしまう。書くことはつらい。そんなことより史料と向き合うべきだ。私は歴史は重要だと思っている。それは歴史学を専攻している身として言っているわけだが、そうでなくてもなにが起こってきて、いま何が起きているのかをみるのは大切にしていきたい。行き当たりばったりではない。フーコー的な「現在の歴史 une histoire au présent」をみていくこと。だから、私には卒論を書いている途中であるいまもそうだが、史料と向き合うことしか残っていないのだ。史料は物理的な史料でもいいわけだし、括弧付きの「史料」でもいいと思う。でも、史料というものに向き合う度胸がないと現在のことも語れないとは思うのだ。結局、けっこう書いてしまったから、今日はここまで。

    2022.2.27
  • 2022.2.26

    寒い日々が続く。雪が溶け、再度凍りつき、アイスリンクのように滑りやすい地面になっている。たとえブーツを履いたとしても安心して歩くことができない。地を見て、一歩一歩歩を進める。そんなふうに私の日々が徐々に進んでいけばいいのだが、そうもいかないのが実情。時間は予想以上に早く飛び去ってしまうから、それをいちいち掴みにいかなきゃいけないんだけど、掴みそこねる。

    なにかそういうふうにして、日々に疲れてきたので、今夜はコンサートに行った。念願の内田光子だ。しかも、シェーンベルク。これは行くしかない。ちょうど友達がチケットを譲ってくれるとのことで、舞台は整った。自宅から会場まで車で45分。私は車を持っていないし、そもそも運転ができないので、ウーバーを頼んだ。行きのウーバーは黒人の男性ドライバー。音量マックスで Joyner Lucas や Rod Wave を流していた。携帯を片手でもちながら、DJのように車–もはやそれはクラブだった–を操っていた。私の身体はすでに動いていた。

    シェーンベルク。ピアノ交響曲。十二音技法は私を困惑させた。身体が硬直されてしまう音楽。淡い青のヴェールを装う内田光子の存在とともに8分の3拍子が始まる。最上階のバルコニーから観ていたので、セヴェランス・ホールの建築に気を取られた。癒しキュアではなく、クィアネス。キュアからケアではなく、我々はクィアを通らなくては。だがクィアは通過点ではなく、終着点としてありつづける。その執着の苦しみに、歴史の重みについていかないで、ケアといえるのか。会場の名前であるセヴェランス(severance)とは「契約解除」を意味する。すべてのアイデンティティから契約解除すること、クィアとはこうも難しいのだ。

    コンサートの終演時間にあわせて、帰りのウーバーを予約しておいた。私がアメリカに来た四年前に比べてウーバーの値段は高くなった。そんなことを思っても、帰らないといけないので、頼むしかない。帰りのウーバーは黒人の女性ドライバー。白い髪の毛が暗い車内のなかでも燦然と輝いていた。トレイシー・チャップマンやマルーン5などが流れていた。

    ここでこう考える。白人だらけのオーケストラのなかで内田光子がその中心でシェーンベルクを奏でていること。黒人警備員がチケットやワクチンカードを確認し、白人スタッフが上の階で客を席まで案内すること。黒人に運転してもらうこと。そのとき、私は自分が何者なのかを確認する。クィアから逃れる作業。それは常に契約解除セヴェランスされる。クィアとともにあること。それはキュアでもケアでもない「苦みに満ちたものになるだろう」(村山敏勝、『(見えない)欲望について』)。苦しみではなく、苦みを噛み締めていく、今日も。

    2022.2.26
  • 2022.2.25

    みんなができることをやるより、自分しかできないことをやったほうがいいとは思う。

    とまで書いて、止める。下書きとして保存。なんだか違う。これが言いたいことではない。しかし、言わんとしていることはそこにある。私が誤読の可能性をここまで恐れたことはないのではないか。ツイッターをやっていて、言い切れないのが一番つらいことだ。ツイッターというのは、自分の無意識を表出するオートマティスムだから、言葉に詰まってしまうことはつらい。そのつらいことを言い切ることもつらい。

    今日は金曜日だったので、授業がなかった。というと、奇妙に聞こえるかもしれないが、金曜日に授業はない。今学期は3つしか授業を履修していないので、スケジュール上、月金は授業がない。つまり、週末が4日になったわけだ。もちろん、そのかわり卒論を自分で書き進めていかなければいけない。まず金曜日に授業がなければならない、働ければならないと決めたのは誰なのか。なぜ私たちは働いて、お金を稼いで、そのお金で生きていかないといけないのか。そんな単純だが重要なことを、来年やることを探しながら思った。

    本をつくることに興味があるので、出版に関わりたいと考えている。大学卒業後もう一年だけアメリカに残れるOPTというシステムがあるので、それを使ってアメリカの出版とはどういうものなのかを見てみたい、というていで働ける出版社を探している。今年の夏にあるプリンストン大学出版のインターンシップに応募しようとしたが、「税金の関係上」ニュージャージー州かペンシルベニア州に住んでいる人しか応募できないと書いてあり、断念した。

    歴史学の教授から、Paths in Publishing というメンターシッププログラムを紹介してもらった。そのウェブサイトに行くと、「メンター」の顔写真と自己紹介が載っていた。このプログラムは、そんな大学出版で働いているメンターと大学出版への就職を希望している人たちとをつなげてくれる。つまり、就職斡旋というわけだ。しかし、大学出版への就職斡旋とはなかなか珍しい。さっそく、メールをしたところ、すぐに返事が返ってきた。来月から正式にプログラムが始まるから、それまで待っていて、とのことだった。返信の早さ、ウェブサイトの見た目からして信用してよさそうだ。教授も信頼できる友人から聞いた情報だから、信用できる。

    やはり引っかかるのは「自分しかできないこと」という部分だ。自分しかできないことなどあろうか。いや、もちろんそんなものはないのは重々承知だ。すべてのものは結局代替可能だ。だが、それをわかった上で「あえて」言っている。「あえて」は他人からは見えないものだから、容易に無視される。「あえて抵抗しない」ことは「抵抗しない」ことだとみられる。人の言っていることの裏側を見ないといけない。それが想像力だと思うのだ。だが、結局「他人」だからわからない。実は、その他人はピュアに「抵抗しない」と思っていて、言っているのかもしれない。

    私はわからない、とここに断言しようではないか。「わかる」と言っている人はすごいと純粋に思う一方で、よくそんなことが言えるな、とも思う。ハードルを次々と越えていく人がいる。でも、あえて「わかる」と言っている人も一定数いると考えるとわからなくなる。例えばの話をしよう。例えば、戦争反対と謳いながら、ウクライナ軍に金銭的な支援をしている人がいる。私にはその人たちのことがわからない。しかし、その人たちは「わかる」と言って、「ハードルを次々と越えていく」。でも、その人たちの中にはあえて「わかる」と言ってやっている人がいる。それがどういうことを内包しているのかはわからないが、それでもいるのだと思う。

    自分しかできないことなんてないのに、あえてそれを言ってやること。こうやって書くことがそれだと信じている。私はあえて書いていることをみんなはわかってはくれない。でも、私はそんな人に対して、「あえて抵抗しない」。少しでも複雑さをもって生きたい。単純なんておもしろくないのだから。

    2022.2.25
  • 2022.2.24

    私にとって音楽は格別のものだ。昔から音楽に支えられ、音楽に救われ、自分も音楽をわずかながらだがやっている。どの音楽を聴くかによって気分が変わるし、気分によって聴く音楽を変える。いまはアンビエントを聴いている。声のない音楽。それはゆったりとした音楽と表現することもできるし、なにもない音楽と言うこともできる。いまの私にはなにもない音楽が必要だった。

    日記を始めて三日目だが、すでにこの日記、そしてそれを書いている私はなにかを辿っているようが気がする。それはもちろん今起こっていることであるかもしれないし、反対になにもないことを辿っているのかもしれない。なにかあることに対して、なにもないことを対置させる。そういうことをしたいと思うことは人生に何回も訪れるものだが、今日はより一層そんなことを思った。

    ふと、去年の九月のことを思い出した。ボストンに行った帰り、空港から家まで大学のシャトルバスを利用しようと、バスの運転手に電話した。そしたら、ちょうど学生を一人、大学まで送るところだった。しかし、その学生がまだバスのところまで来ていないから、空港のなかを探してほしいと伝えられた。その学生を探してバスまで連れてくれば、無料でバスに乗せてくれるというので、けっこう真面目に探した。その学生の情報としては、新入生であることとその学生の名前以外伝えられなかったし、運転手もそれ以外のことをわかっていなかったみたいなので、どんな人か推測するほかなかった。新入生だからスーツケースを二個くらい持っているだろう、女の子によくつける名前だから、女性的な外見なのかもしれない。

    結局、見つからなかった。そう正直に運転手に電話したら、運転手はその学生が見つかったという。それはよかったが、バスには無料では乗れない。だが、意外にも運転手は太っ腹で、無料で載せてくれた。そのかわり、その新入生に寮の位置やら入り方やらを教えてくれと言うから、喜んで承諾した。私がバスに着くころには、その新入生は重たそうな–そして実際に重かった–スーツケースを二個バスのトランクにおろしていた。彼女は顔に疲れを見せながらも私に「ありがとう」と明るく会釈した。私は「とんでもない」と返し、できなかったことに対する感謝の念を打ち消そうとした。

    彼女は私と同じ外国人留学生。話を聞くと、20時間以上の乗り継ぎ2回のフライトだったという。しかも、時間帯も深夜に近づいているということもあって、終始眠そうだった。だがしかし、おしゃべり好きなのか、私にたくさん質問をしてきた。私は答えたし、向こうに質問もした。そうすると、彼女はウクライナからきて、アメリカは初めてだということがわかった。化学や環境科学を勉強したいという。そして、寮は私が一年生のときに住んでいた寮と同じ。そういうこともあって、話は弾み、大学まですぐ着いた。

    運転手との約束通り、寮までの道を一緒に歩き、部屋の前までスーツケースを運んだ。それ以来、彼女とは会っていない。そんな彼女のことを今日ふと思い出した。彼女のこと、そして空港のなかを歩き回ったこと。ただ私はバスにタダで乗りたかっただけだ。しかし、ふとこのことを思い出すのであった。だからといって、なにをするわけではない。なにかあるわけではない。私はなにもできない。私は私のために歩き回るしかできない。そこになにかあるのかもしれないと常に期待しながら。でも、なにもない。

    私のなかの大きな問いの一つ–それはあまり人に言うようなものではない–をすごく抽象的に言えば、人はなにかあることに幸せに感じ、なにもないことには幸せを感じないのではないか、というようなことだと思う。良くも悪くも刺激がないと、幸せを感じないのだろうか、と真剣に考えていた時期があった。その頃、私は「わざと失敗すること」について考えていたと言ってもいい。「人生山あり谷あり」を結果としてではなく、アプリオリに考えること。しかし、いまこの瞬間、このようなことを考えることはできない。考えたくないだけなのかもしれない。それ自体、なにもないことでもある。

    なにもないことはつらい、と言えない。なにもないことを望んでいる人たちがいるから。だから、今日–それは明日、そしてそれ以降を含むかもしれない–はなにもないことと向き合ってみよう。なにもないことにはなにがあるのか、という矛盾とともに。

    2022.2.24
  • 2022.2.23

    日記を書くとき、いつも今日は何をやったか思い出すところから始まる。私は昨日の夕飯何を食べたかをすぐ忘れるので、今日やったこともすぐ忘れてしまう。だから、Workflowyにいつも書いている一日のやることリストを見て思い出す。上から順に read theses、Discipline and Punish pp3-31、michelle、2/24 読書会確認、とリストされて、すべてに取り消し線が引いてある。取り消し線が引いてあるということは、そのタスクを終えたということだ。

    read theses というのは、毎週ある歴史学の卒論ゼミのためにほかの学生二人の卒論のドラフトを読むということ。一人は1920年代のアメリカ・ウェストバージニア州における炭鉱の労働組合の労働者団結運動について。もう一人は第一次大戦後のウィーンのセツルメント運動における建築と民主主義の関係性について。私も1910年代の日本のキリスト教外交について書いているので、時期的には重なってはいるが、まったく内容は違うので、読むのには一苦労する。ほかの卒論のドラフトを読むことが自分の卒論のためになると断言できるわけでもない。だが、卒論を書くには必要なプロセスなのでしょうがない。ゼミの教授も毎週ここまで書いてきなさい、と締切を用意してくれるので、最後の締切まで書かない悪い癖がある私にとってゼミに入ることは必要だった。だから、しょうがない。

    フーコーも読んだ。今学期とっている「医学、文学、生権力」という授業のために、『監獄の誕生』の最初を英語で。けっこうグロかった。しかし、ルイ15世を暗殺しようとして八つ裂きの刑に処されたダミアンの手足を裂くのに、四頭の馬では足りなかったので、六頭に増やしたという記述には笑ってしまった。六頭でも無理だったみたいだが。

    michelle というのは、私が住んでいる家の大家さんの名前で、彼女にテキストで「一階のシャワーのハンドルを回したら空回って、水が出ない」と伝える、というタスクのことを指している。その旨をテキストしたら、すぐに「メンテナンスの人を呼んでみる」と返ってきた。当分は二階のシャワーを使うことになりそうだが、まあこれもしょうがない。

    明日は読書会だ。エクリヲの人たちと Sianne Ngai の『Our Aesthetic Categories: Zany, Cute, Interesting』の Cute のパートを読む。カントとマルクスが出てきて少し難しかったので、そこの部分を再度読み、ケアと暴力、フェティシズムなどについて話せるかな、と思ったり。二度読んでもわからない部分は「?」と書いておいた。わからないことはしょうがない。明日、素直に聞けばいいだけの話だ。

    海の向こう側では戦争が始まったようだ。そのかたわら、私は「しょうがない、しょうがない」と嘆いているだけでいいのだろうか、と考えたりする。私は口癖のように「しょうがない」と使っているからこそ、その口癖について考えなければいけない。「しょうがない」と言っている僕の後ろにはなにか無力感のようなものがある。戦争をまえに無力なのは、なにか皮肉のようなものを感じざるを得ない。戦争ではなく、なにか戦争のようなものしか感じられない僕にはなにが足りないのか。それを考えることしか僕にはできない。

    2022.2.23
  • 2022.2.22

    みんなもすなる日記といふものを私もしてみむとてするなり、という心もちで今日から日記を始めようと思う。この日記は自分のなかでは画期的だが、世間的には画期的なものでは全くないようだ。すでに多くの人がnoteに日記を書いているわけだし、福尾匠のように自身のウェブサイトに一年間毎日日記を書いて、それを本にまとめようとしている人もいるなかで、私が日記を書くことが画期的だといえようか。しかし、大切なのは自分自身のことなわけで、やっていくこととした。まず第一に画期的なのは、私という人間が日記を書くということ。そして、これをたったいま、note のエディターで書いていることそれ自体。私はいままで、そしていまも Ulysses というアプリで短い文章を書くのだが、それは他のものよりも使いやすいから使うのであって、だからこそ note のエディターで note に載せるものを書くことがほぼなかった。ツイッターのフォロワーが note が振り仮名を振れたり、傍点、、をつけたりすることができることを言っていて、私も純粋な気持ちでやりたいとなった。とくにこの日記で振り仮名を頻繁に振ったり、傍点をつけたり、そういうように文章を書き換えたりすることはしない。でも、note で書いてみてもいいじゃないか、という気持ちで書いている。そう、すべては気持ちの問題なのだ。論理的な思考というようなもので人がなにかをしはじめるということなど、毛頭ないのだ。だから、諦めて、書くしかない。

    と、書いていると洗濯物の乾燥が終わったことを知らせるアラームが鳴った。そう、私はいまアメリカにいる。洗濯物を干すのではなく、乾燥機に入れることで私はいまアメリカにいることに改めて気がつく。乾燥機にはアメリカのすべてが詰まっていると言ってもよい。乾燥機から取り出した服の科学的な熱さ、乾燥機の運転音、溜まる埃、濡れたものを無理やり乾かすこと。それをこれからアメリカらしさと呼ぼうではないか!そんなこんなで、今日は洗濯ができるほどの時間的、心理的余裕があった。よかった。これでまた一週間はもつ。昨日までは渡米する前に終わらせておくはずだった卒論の15ページ(約4500単語)を書いていたので、洗濯する暇がなかった。それも昨夜書き終えたので、今日はやらないといけないことをけっこう終わらせることができた。メールを送ったり、返信したり、ファイルをダウンロードしたり、化粧水のプラスチックの包装を剥がしたり。忘れたこともあったが、それを含めても満足のいく一日だった。ある一日が満足がいったと評価を下すことも、日記を書かない限り、ないのではないか。と言っておけば、日記の価値を自分に言い聞かせることができる。

    note にはトップ画像というものがあって、よくそれをなににしようか迷うのだが、日記には自分の携帯の写真フォルダから一枚選ぶことにする。日記の内容とはかけ離れていることがほとんどだと思うが、共通点を見出してもおもしろいのかもしれない。今日の画像は、ニューヨークの雑多な風景にでもしておこう。少しは今日の日記の内容と重なるところはあるはず。

    さて、乾燥機アメリカから服を取り出してこよう。アメリカはよくその人種の異種混淆性から人種のるつぼメルティング・ポットと呼ばれたりする(「人種のサラダボウル」と呼ばれることが近年多くなったらしいが、最近は両方とも聞かない)が、今度からは「人種のランドリー」と呼んでもいいのかもしれない。そんなランドリーは熱気でむんむんとしているだろう。

    2022.2.22