立岩真也先生が亡くなったことを知ったのは、わたしが東京の大学院で、ある教授と面談をする少し前のことだった。
わたしは彼から一度も教わったことはないし、一度も会ったこともない。しかし、立岩先生の本を読むたびに、彼の文体、つまり声のテクスチャーを聴いていた。そう、わたしは彼の声に触れていた。5年前にはじめて彼の本(たしか『人間の条件 そんなものない』)を読んでから、『不如意の身体 病障害とある社会』と『病者障害者の戦後 生政治史点描』といういわゆる赤本、青本を先生から直接購入した。直接購入すると、本に番号が押されたり、『私的所有論』の英語版と『現代思想』の連載が収録されたCD-ROMがついてきたりするので、いろいろお得だった。
2020年の半ばに『介助の仕事』の発売が決定して(そのときの本の名前は『(本1)』だった)、わたしはすぐ立岩先生にメールで購入予約をしたら、「予約第1号です」との返信をいただいたものの、たぶん先生が見落としていて、結局本が届かなかったことも覚えている。
2018年末にわたしは立岩先生の文体についてこう書いた。
なんか立岩先生の言葉遣いは独特で、それがあってはじめて私の心に彼の言葉がしみる感じがする。いや、しみるというよりもなんか隣にいてくれるような、そんな感じ。
これはいまでも変わらない。隣にいてくれるような文章は、地道な作業によって支えられている。生存学研究所(arsvi)のサイトには膨大なアーカイヴや資料が随時更新され、先生の本の文献リストも本に入りきらないものについてはこのサイトに載っている。たぶん病や障害のことであれば、ほとんどなにかしら書いてあるだろう。
立岩先生に教わっている友人から、入院している、髪のない先生の写真が送られてきたのは一ヶ月前のことだ。彼の笑顔から当時の病状は知りえなかったし、なによりもオンラインでも授業をしている姿は彼が入院しているという事実からわたしを遠ざけた。彼は元気だった。
ちょうど入試の過去問を買いに生協の書籍部に寄ったので、昨年ちくま学芸文庫から出た『良い死/唯の生』も買い、帰りの電車のなかで読んだ。