2023.7

  • 2023.8.1

    立岩真也先生が亡くなったことを知ったのは、わたしが東京の大学院で、ある教授と面談をする少し前のことだった。

    わたしは彼から一度も教わったことはないし、一度も会ったこともない。しかし、立岩先生の本を読むたびに、彼の文体、つまり声のテクスチャーを聴いていた。そう、わたしは彼の声に触れていた。5年前にはじめて彼の本(たしか『人間の条件 そんなものない』)を読んでから、『不如意の身体 病障害とある社会』と『病者障害者の戦後 生政治史点描』といういわゆる赤本、青本を先生から直接購入した。直接購入すると、本に番号が押されたり、『私的所有論』の英語版と『現代思想』の連載が収録されたCD-ROMがついてきたりするので、いろいろお得だった。

    2020年の半ばに『介助の仕事』の発売が決定して(そのときの本の名前は『(本1)』だった)、わたしはすぐ立岩先生にメールで購入予約をしたら、「予約第1号です」との返信をいただいたものの、たぶん先生が見落としていて、結局本が届かなかったことも覚えている。

    2018年末にわたしは立岩先生の文体についてこう書いた。

    なんか立岩先生の言葉遣いは独特で、それがあってはじめて私の心に彼の言葉がしみる感じがする。いや、しみるというよりもなんか隣にいてくれるような、そんな感じ。

    これはいまでも変わらない。隣にいてくれるような文章は、地道な作業によって支えられている。生存学研究所(arsvi)のサイトには膨大なアーカイヴや資料が随時更新され、先生の本の文献リストも本に入りきらないものについてはこのサイトに載っている。たぶん病や障害のことであれば、ほとんどなにかしら書いてあるだろう。

    立岩先生に教わっている友人から、入院している、髪のない先生の写真が送られてきたのは一ヶ月前のことだ。彼の笑顔から当時の病状は知りえなかったし、なによりもオンラインでも授業をしている姿は彼が入院しているという事実からわたしを遠ざけた。彼は元気だった。

    ちょうど入試の過去問を買いに生協の書籍部に寄ったので、昨年ちくま学芸文庫から出た『良い死/唯の生』も買い、帰りの電車のなかで読んだ。

    2023.8.1
  • 2023.7.31

    7.28 から7.30の日記については自身のnoteにフジロックレポートとして掲載する予定であるので、そちらを参照していただきたい。すでに1日目のレポートは掲載した。

    さて、さすがに3日間真夏の暑さのなかで合計6万歩くらい歩くと身体は悲鳴をあげるので、今日はゆっくり寝て、ゆっくり起きて、ゆっくり過ごした。苗場にいるときは気づかなかったけど、先週自転車で手のひらに負った怪我は治りつつあるが、強く拍手をしたりするとまだ痛い。あと、寝返ったりすると右の肋骨のあたりが痛い。骨にひびが入っているほど痛くはないのだけど、仮にひびが入っていたとしてもそれがひびによる痛さなのかはわからない。けっきょく、病院に行っても行かなくても肋骨については安静にするしかひびが治ることはないので、病院には行かないことにした。

    そういえば最近は病院にいっていない。アメリカにいたときも病院に行った記憶がない。日本だと近くの耳鼻科で花粉症の薬をもらうとかはあるけど、アメリカの病院は行くのをためらう傾向がある。どれくらいの費用を払うのかも心配だし、ちゃんとした治療をしてくれるのかも不安だ。おそらく「ちゃんとした」治療はしてくれるのだろうから、経験したことのないことを怖がっているだけだ。そして、幸運なことにアメリカにいるときに精神はともかく、少なくとも病気をしていないという意味で身体的には健康だった。食生活はまったく健康的であるとは言えないだろうが、身体に支障をきたさなかったことは大きかった。アメリカで骨折でもしたら、身体の痛みよりもどれだけの費用を払わないのかという心配をしなければいけないという心理的な痛みのほうが強いと思う。

    じゃあ精神的には健康だったかというと、大学という自由な環境に身を置いていたという意味では、それは自分の精神的な健康と結びついたと、いま日本にいて感じるところは多々ある。だが、最初の1、2年はきつかった。しかし、それは慣れの問題であって、慣れればうまくいったという単純なことだったと思う。たぶん「うつ」という言葉で自分の状況を定義しはじめたのはコロナのあとからだ。しかもそれはアメリカではなく東京にいたときに一番ひどかった。それはなんでなんだろうと考えると、理由はさまざまあるのだろうけど、アメリカに行くときにはある程度準備ができていた。しかし、東京で生活するとなって、それを楽しみにしていたから、それが実際の暮らしや精神的な状況とのずれが大きいと、ショックを受けたのかもしれない。まあよくわからないし、なるときにはなるものだと思う。しかし、一度や二度経験したからこそ予防することもできるだろうし、できないときもある。

    2023.7.31
  • 2023.7.27

    秋からヨーロッパの大学院に行く友人と話す。タイ料理が食べたかったので、自由ヶ丘のタイ料理屋さんへ。二人ともカオマンガイを頼む。予想以上にすぐ出てきて、将来について話す。やりがいや存在意義を感じる仕事ができれば、それで生計が立てれればいいのか。仕事が嫌いになれば、やりがいを感じるようなこともやりがいを感じられなるのか。そういう問いは解決されないまま、二人のあいだにすでに共有され、それが強調される。

    ギャラリーをまわる。なかなか歩いたと思う。品川駅のユニクロで明日からの服や下着を買うが、あまりに品揃えが少なく、目当ての撥水のズボンがなかった。明日から苗場なので、早く寝て明日に備える。

    2023.7.27
  • 2023.7.26

    フジロックのために買い物をしないといけなかったので、ブーツなどを買うためにキャンプ用品店に向かう途中、自転車で坂を立ち漕ぎで上っていたとき、急にペダルに力が入らなくなり、体が前にふっ飛ばされた。自転車が分裂したかと思い、立ちあがろうとするが、体が痛くて立ち上がれなかった。両手を見ると擦り傷があって、血が滲み出ていた。ああ、生きている。痛みは生の痕跡だ。後ろにいた女性も小さい子供を自転車の後ろに乗せて、心配そうに「休んでください」と言い、地面に落ちたわたしのバッグを道路の横に置き、去った。そりゃ休む、と思いながら、道路脇に自転車を停めて、休む。すぐに体は動かないけど、わたしはいたって冷静だ。

    少し休むと、状況が把握できた。自転車のチェーンは外れ、自転車は漕げない。前のカゴは変形した。両手の平には擦り傷があり、右膝も少し擦った。あとは右の肋あたりがすこし痛むくらいで、軽傷で済んだことは幸運だった。とりあえず自転車と歩いて、近くの自転車屋さんでチェーンを直してもらう。5分くらい待っていると、おじさんが手際よく直してくれた。自転車屋には石原慎太郎の『天才』、百田尚樹の新書、そして古い塚田泰明の将棋本が置いてあった。1000円払って、出る。

    自転車屋さんの方向はもともと行こうとしていた方向と真逆だったけど、考えてみればブーツであれば近くにある靴屋で買えるし、防水グッズは自転車屋の向かいにあるダイソーで買えるではないか。そう気づき、ダイソーまでゆっくりと自転車を漕ぐ。右手をみると、薬指にはめてあった指輪がなくなっているかわりに黒い汚れがついている。木でできた指輪はアメリカにいたときにetsyという手芸が売っているサイトで買った。前にふっ飛ばされたにもかかわらず軽傷で済んだかわりに指輪がなくなったとしたら、(普段はこう考えないのだろうが)指輪がわたしを守ってくれたのかもしれない、と考えてしまう。

    たしかに指輪やブレスレットなど外出するときほとんど必ず身につけるアクセサリーは一種のお守りとして機能している。付けていないと気が済まないから、最近はなくした指輪を買い直した。ただ身につけているだけなのに、愛着が湧いたり、自分を守っているかのように感じられることは、まるで自分の小さな世界をつくりあげているかのように美しい。だから、いつかまたアメリカに戻るとき、同じ木の指輪を右手の指輪につけなければ。自分の最小の身体的な世界を守らなければ。

    2023.7.26
  • 2023.7.25

    帰り道に月が出ていた。三日月と半月のあいだの月はなんと呼ぶのだろう。名前がまだついていなければ、それでいい。私たちはすでにいろんなものに名前をつけている。名前が溢れている。まだ名づけられていないことを丁寧に考えていくこと、それがいまの自分にとって必要なことなのだと思う。昨日引用した金川晋吾のように、「恋愛」についてだったり、まえスペースで伏見瞬が言っていた「人生=創作のテーマ」についてだったり。

    それでも名前をつけて明確に考える必要のあることもある。たとえば、自分が搾取されているかどうかを計算や数字、論理でしっかりと判断し、もし搾取されている場合はきちんとそれを示す。立岩真也的とでも言おう。ふわふわと抽象的なことを考えてはならないときもある。それは「男っぽい」のかもしれない。

    あるミーティングで自己紹介をしていたとき、ある人が「(その人の下の名前)と呼んでください。名字があまり好きではないから」と言っていた。それを受けて、わたしも「ぼくも名字は好きではないので、(わたしの下の名前)と呼んでください。」と言った。わたしがみんなから下の名前で呼んでほしいことはまえからそうだったけど、「ぼくも名字は好きではないので」という部分は、わたしが自己紹介をするまえに自己紹介したその人の自己紹介がなければ、付け加わっていなかっただろう。わたしはその人に影響を受けて、この部分を言ってしまった。

    わたしは小さい頃から名字で呼ばれることは少なかった。呼ばれるとしたら中高の体育の先生か部活の顧問、あとは初対面の人くらいだろう。あとの人たちはわたしのことを下の名前で呼んでくれる。しかも、わたしには固定化されたあだ名がない。だから、人があだ名をもっていることに羨望の気持ちを抱いたことは幾度もある。そうだし、あだ名というものは自分でつくりだすものなのか、それとも他人がつけてそれが常態化してあだ名となっていくのか、よくわからない。感覚的に、また経験からして両者ともありうるのだろうけど、わたしはそのどちらも個人的には経験したことがない。

    わたしはさっき言ったように、自己紹介で「ぼくも名字は好きではないので、(わたしの下の名前)と呼んでください。」と言ってしまった。しかし、はたしてそれはわたしが自分の下の名前を好きであることを意味するのだろうか。それとも、相対的に考えてみて、名字より下の名前のほうがまだ好きだから、仕方なくそう言っているだけなのか。わたし自身、自分の下の名前を積極的に好きだと思ったことはそこまでない。いたってよくある名前ではある。しかし、名前を間違えられたり、名前の漢字を間違えられたりすると、嫌な気持ちになる。とくに漢字にかんしては、たしかにあまり見慣れない漢字の当て方だが、間違えられるとけっこう嫌な気持ちになる。だから、名前が好きだというより、名前を間違えられることが嫌いという気持ちのほうが強い。

    名前が好きであることと自分が名づけられることが好きであることはまったくもって異なることだ。わたしは名づけられることは案外好きなのかもしれない。それは完全に受動的なものであって、名前を変えることはできないことはないが、難しいし時間や労力がかかる。しかし、名づけることは好きではない。なぜなら、名づけるという権力をもつということに加え、「現実的に」どの名前にするか、無限の可能性のなかからひとつを選びとるという行為がなんとも暴力的であるからだ。それはキラキラネームのような極端な例を持ち出さなかったとしてもそう自分には感じる。だから、自分で自分のあだ名をつけるという行為にも魅力を感じない。だとしたら、わたしは名づけられた名前を受け入れる。

    すでに名づけられていることを、名づけられていないものであるかのように扱ってみること。それと同時にすでに名づけられてしまっていることをそのまま受け取る練習もしてみる。

    2023.7.25
  • 2023.7.24

    私が「頑張れ!」というとき、それはほとんどの場合「頑張るな!」ということを内包している。〈頑張れ!〉という包み紙のなかに、〈頑張るな!〉というギフトが入っているというように。

    「ゆっくりでいいから」と言うといいように聞こえるけど、減速することも資本主義の速さに絡めとられると思うと、言いにくい。
    (河南瑠莉、スローライフが、むしろ資本主義を「加速」させるという皮肉な現実、https://gendai.media/articles/-/66544)

    頑張らずに頑張れ!
    頑張って頑張るな!
    私はそのどちらも口にしたくはない。

    友人が徒競走で走っているとき、「頑張れ!」という応援は、私にとっては「頑張るな!」という願いであって、「走るな!」という願いである。そう心で願っていても、その子は変わらずに走っている、必死に。ゴールテープを最初に切ろうとしている。切らなくていいのに。走らなくていいのに。頑張らなくていいのに。でも、走ってしまっている。もうそこに投げ込まれてしまっている。私も同じように応援席に投げ込まれ、思ってもいないことを言っている。

    切らなくていいのに 切らなくてもいいのに
    切らなくて いいのに 切らなくても いいのに
    切らなくていい のに 切らなくてもいい のに
    切らなくていいの に 切らなくてもいいの に


    久々に起立、気をつけ、礼をした。アメリカでは一度もそんなことをしたことがなかった。立ち上がるエネルギーが必要だった。礼儀というものはなにも伴ってはいやしないのに儀式は形式的だからこそ成立する。祈りや呪いもそうだ。そんな魔術的なことを信じないといけないほど、理性がオワコンになっている。理性によって成り立っているリベラリズム・近代主義。そして、それらを批判するポストモダニズムの退屈から抜け出すために。

    塾の子供たちを見ていると、毎日学校に行って、塾に行って、部活に勤しみ、反復した生活を送っている。それでも楽しそうなのだ。それに比べて、私の生活なんて…。結局、社会の目を気にしているだけなのだろう。数字とモデルに”ドライブ”されているよりはよいのだろうが。

    写真家の金川晋吾にはほんとうに勇気をもらう。クィアな男性のロールモデルというのはなかなかいないし、しかも文章や写真でそれについて語っている人はなおさらだ。

    「本気」なのか、あるいは「割り切り・遊び・浮気」なのかという区別が浮上してくるのは、「性的なこと」が絡んできたときにそうなりがちだと思います。これは、「性的なこと」というのは理想的には「好き」な人とのみするべきだけど、別に「好き」ではない人ともしたくなったりできてしまったりもする、だから、本気/割り切り・遊び・浮気という境界線をしっかりと引いて、「好き」というものが不純なものによって侵されないようにしているのかなと私は勝手に想像しています。
    この想像は私の個人的な鬱憤に基づいたもので、あくまでひとつの考えに過ぎません。本当のところ、本気/割り切り・遊び・浮気の線引きをなんでするのかは、非常に複雑な問題で簡単に答えが出ることではないと思います。
    ただ、やっぱりこの線引きは、性をあまりに単純化しすぎていると言ってしまっていいと思います。この線引きは、性と感情をきれいに切り分けることによって(切り分けられると考えることによって)、「好き」という感情と結びついた性こそが素晴らしいとするようなヒエラルキーをつくっていると言えるのではないでしょうか。このヒエラルキーは、「好き」と結びつかない性をよしとしないだけではなく、性に結びつかない「好き」というものもよしとしない圧力を生じさせると思います。そういう圧力は、やっぱり嫌なものだと思います。

    (金川晋吾、写真家・金川晋吾さんが考える、人を「好き」になること、恋愛のかたち 、https://www.diversity-in-the-arts.jp/stories/38547/3)

    2023.7.24
  • 2023.7.23

    午後を高校の同級生と過ごす。たしかに居心地はいいけど、なにかちがう。いわゆる「恋バナ」はわたしにとってなにかちがう。来年、結婚するとかしないとか。ビジネスモデルがどうこう。そういう自分とはちがう世界に住んでいる人がいる。高校までは似た環境で過ごしてきたのに、5年経てば価値観も変わる。わたしのも変わったし、彼らのも変わった。

    夜は下北沢で友人のライブがあったので、行った。やはり現地で歌声や楽器の音を聴くのはよいものだ。もっと聴きたかった。その後、観客として来ていた友人と焼き鳥屋さんで飲む。みんな日々の反復に耐えて生きている。境遇を共有する。高校の同級生とのわかり合えなさについて。もともとの予定を大幅に変更したけど、久々に話せてよかった。日々の些細な喜びを噛みしめる。こういうことを話せる人がいる。

    焼き鳥屋さんの換気扇の音がすごく気になった。

    2023.7.23
  • 2023.7.22

    ヒラヤマナツホの「隣り合う顔も知らないまま」を観る。ヒラヤマが育った多摩ニュータウンを舞台に、装置がゴルフクラブを振って、各所でゴルフボールを打つ。ゴルフボールはその装置では全然飛ばない。アスファルトの道ではころころと転がり、芝生ではすぐに止まってしまう。作品のタイトルは、ヒラヤマが住んでいた団地の4室隣に住む人の顔を彼女が知らないことに由来する。「わたしたちは隣り合う人の顔も知らぬまま、またはゴルフボールが飛んでくることのないよう祈りながら、この整えられた美しいユートピアで日々を生きるのだ。」

    先日、私は引っ越しをした。私の家はアパートの3階にあって、1階はA型、B型事業者があって、たまにそこで働いている人たちの横を通り過ぎる。事業所のまえにはお花やハーブなどが売っている。まだ買ったことはない。

    私は近所付き合いが苦手だ。アパート・マンションに住み続けてきた私にとってそれは大きな問題になったことはない。通りかかったら挨拶程度はする。一緒に住んでいる母は近所付き合いをしていた。小学生にあがるときに引っ越したマンションでは、同世代の小学生たちと友達になり、よく近くの公園や芝生で遊んだりして、楽しかったことを覚えている。けど、中学にあがるにつれて、恥が芽生えてきて、次第に遊ぶことは無くなった。違う中学に通っていて、それぞれの勉強や部活に打ち込んでいたこともある。高校は早かった。大学にあがれば、皆散り散りになる。たまに近況を聞くことはあるけど、あまり興味のないふりをする。いや実際に興味はないのかもしれないけど、哀愁は感じる。たとえば、いま。

    だから私は隣り合う人の顔を見たことがないのかもしれない。それは物理的に隣であることもそうだし、心理的にも。どれだけ近しい友人だったとしても、他人であることは変わらない。坂本龍一も言っていた、友人の死をまえに、その友人のことをなんにも知らなかったと感じる、と。ある人の隣にいることはその人からもっとも遠く離れたところにいること。その人はまるで深淵のように深く、私の知らないことをたくさんもっている。知ることは加害性でもあるが、ぬかるみのようにその加害性からはなかなか抜け出せない。でも、全部知りえないし、なにも知りえない、その絶望を抱く。

    2023.7.22
  • 2023.7.21

    まえ言っていた東京芸術祭のアシスタントライターになった。公式に公開されたので、ここで公開できるようになった。私はファームラボのファーム編集室というところに配属されることになる。今日はそのラボ全体のハラスメント講習があり、オンラインではじめてほかの参加者やスタッフの顔をみた。アシスタントライターは僕ともう一人いて、あと編集室長と、事務連絡でお世話になっている方が編集室にいる。ズームの名前を「所属、名前、ジェンダープロナウン」に変更しないといけなかったので、変更はしたものの、なんだか最近まで自分のプロナウンがなんなのかよくわからず、迷った結果「any pronouns」にしたけど、あとで調べてみると、「any pronouns」をシスジェンダーの人が使うとかえってシスの特権を強化する向きに働くということが書いてあって、そうなのかもしれない、となった。多くのサイトではどうやったら他人のジェンダープロナウンを間違えずに使えるか、が問題となっていたけど、それよりどのようにしていろんな人々がプロナウンを選択し、どのように変えうるのかのほうが個人的には気になる。

    あと一週間でフジロックに三日間行くので、その準備も始めないといけないと思いたち、ネットで「フジロック 持ち物」と調べる。やはり折りたたみ椅子は必要なのか、と思いながら、持ち物をメモする。日焼け止めや虫除けスプレーも買わないといけない。あるブログに、その筆者が三日間行った際にかかった費用を算出していた。そのときのチケット代はいまより一万円安かったので、その金額を見ただけでもびっくりしたのに、自分の場合はもっとかかるのかも、と想像しただけで冷や汗をかいた。けどしかし、せっかくなのだから余裕をもって三日間を過ごしたい。そういうときにお金を使えると良い人生になるのかな、と感じたけど、まだその人生が到来する日は近くない。

    2023.7.21
  • 2023.7.20

    午前中は塾講師のための面接。面接開始の20分前にベッドから出たので、急いで歯を磨き、洗顔し、髭を剃り、コーヒーを飲み、シャツに着替え、ズボンはのままでオンラインの面接に臨む。面接のなかで採用が言い渡され、13分で面接は終了した。

    その後、朝食を食べ終え、仕事場に向かう。授業の1時間前に到着し、さっそく印刷機を借りて日記の冊子の印刷を試みる。冊子にするには印刷機に対応したアプリを使わないとできないと、塾でパンフレットの印刷を担当している山本さんが教えてくれたので、USB経由でそのアプリにPDFファイルを転送した。意外にも僕はこういったテクノロジーの使い方には慣れているほうなので、親や学校の先生に使い方を教えるときがある。しかし、このアプリをこれまで使ったことがなかったので、なぜか転送したファイルの周りの余白が大きくて、試しに印刷してみると文字が小さく印刷されてしまう。今振り返ってみると、単純に印刷の設定がおかしかっただけだったのだけど、その設定を変えるだけで30分以上かかった。最終的に印刷することには成功したもものの、実際に大量の印刷をして冊子にする作業は後日となった。

    2023.7.20