2024.4

  • 2024.4.30

    リサーチプログラムのための応募フォームが17時に締め切りだったので、昼に急いで、いつも作業するカフェに行って、文章を書き上げる。仕事が始めるギリギリの時間までやって、オンラインの授業中、こっそりと文字数を削る。そして、時間内に提出できた。

    夜は友人が家に来て、飲んだ。

    2024.4.30
  • 2024.4.29

    友人とともにブランチに出かける。少々おしゃれなところで、着いたときは列ができていたのだけど、せっかくなので並ぶことにした。新幹線の指定席の時間はとっくに過ぎていたが、ひかりの自由席なら座れるということで、ゆっくり待った。並んでいるときにお水を持ってきてくれたお兄さんがやさしいことで盛り上がった。ブランチも案の定美味しく、量もけっこうあった。エスプレッソトニックもさっぱりで満足。

    2024.4.29
  • 2024.4.28

    泊まっているところの友人とそのパートナーとギターやら尺八やらを弾きながら、昼前を楽しむ。そのままピザ屋さんでお昼。なかなかピザが来ないので、お腹がすいて、スライス一枚じゃ足りないと思ったけど、ちゃんと腹八分目になった。

    友人と別れて、上野へ。暑いし、人が多い。ゴールデンウィークだ。アメリカにいたときはゴールデンウィークという概念がなかったので、5年ぶりのゴールデンウィークを過ごす、といってもそれらしいものはしないが。

    国立西洋美術館の現代アートの展示は仕方なく行くような心持ち。あんまり期待はしてなかった。とにかく物量が多かった。もっと物量を少なくしてほしい。最近の展示いろいろそうだけど、見るものが多すぎて、一つの作品に集中することもままならない。そりゃ人々は秒で作品の前を通っていく。そして、周りについている言語・テキストが多い作品が目立った。作品それじたいで伝わる強度のあるものが作れなくなってしまったのであれば、それは由々しき事態なのかもしれない。石内都も「写真に言葉はいらない」とインタビューに答えている。あと、本気の人と適当な人の差が激しい。でも、最後の坂本夏子やパープルームの梅津さんの絵画は素晴らしかった。梅津さんのはクレー味がある。3時間いて疲れた。

    空いている数少ない上野のカフェでホットケーキとアイスコーヒー。700円。買った『この国の芸術』を読みながら、時間を潰す。マユンキキのインタビュー。そして、演劇WS。

    2024.4.28
  • 2024.4.27

    友達とうどん。いつもの場所でいつものように。コンサル界隈では、「アベる」という用語があることを知った。「アベイラブル available」の略で、仕事が振られていない人のことをそういうらしい。仕事がないのに、給料がもらえるので、有給みたいなことだ。そして、ぼくはアベりたい、と心底思った。社会から求められないが、お金はもらえる。もちろんそんなのは理想にすぎないが。しかし、もともとアベっているコンサル業界で、さらにアベるとは、なんと至高の幸せか!

    「話が合う」という話になって、長く関係が続けられる人は、かならずしも話の内容が合うのではなく、話の仕方が合う、という結論に行き着いた。つまり、わたしたちは相手の話していること自体に興味がある、というよりも、それを話している相手に興味があるのだ。けっこうおもしろいことだと思う。

    あと、どこで話すか、という空間における「話が合う」もある。この人とはここで話したい、でもあの人とはあそこで、と、わたしたちはなかば意識的に人と空間をつなげている。その話のなかで発覚したのは、わたしにはあるオーラのようなものがあって、特定の空間を拒んでいるようにみえる、ということだ。つまり、わたしをある程度知っているほかの人は、わたしを特定の空間と結びつけなかったりする。でも、ほかの人とはその空間で話したりする、ということ。

    神保町ブックセンターで、『汚穢のリズム』と『日常的な延命 「死にたい」から考える』を購入して、電車のなかで前者を読む。収録されている市原佐都子の短いエッセイがなかなかグロく、市原の雰囲気が端的に伝わった。

    知り合いのパフォーマンス。すごく進化している。ユーモアもあり、コンタクトインプロのようなものもあり、短いが充実した作品。

    演劇のWS2日目はハラスメント防止研修。後半の「演劇という暴力装置」の議論が興味深かった。

    2024.4.27
  • 2024.4.26

    2限の授業でもきつい。数分遅れてしまう。それも単位のための授業というか、指導教官がもう一つ授業を履修したほうがいいと言われ、しかももっと査読してくれる教授の候補を増やしたほうがいい、との理由でとっている。内容はオートエスノグラフィと映像分析なので、興味はあるところなので、あまり消極的でもない。しかし、授業は学部生向けで講義。しかも、基本的には文献を読んで、それの方法論なりを要約するという、リサーチベースドの授業だ。そりゃ学部生向けだからそうだろう。しかし、あまりおもしろいとはいえない。もちろん世の中にはおもしろいだけでやっていけない部分が多々あり、おもしろいものはそれらおもしろくないことによって引き立つ、という考え方もできる。そして、それには同意する。

    岡崎のほうでランチ。オムライス(中)。薄い卵にたっぷりのケチャップライス、の上に相当煮込んだと思われるデミグラス。やはり有名だというだけにおいしい。卵の存在感は薄いので、バターの効いたケチャップライスとデミグラスソースを食べている感覚。

    京セラ美術館でKYOTOGRAPHIE。潮田の写真は線、川内倫子の写真は光、印象派、エモさ。帰りにバナナスムージー。

    新幹線で東京。のぞみはこの期間はすべて指定席。学割を使うので、窓口で往復分を買う。チケットを用意するのが早い駅員さんに感謝する。

    東京で演劇のワークショップ。すごくおもしろくなりそうだ。京都から行くかいがあると感じる。何かが生まれそうだが、何が生まれるかはわからない感覚。

    2024.4.26
  • 2024.4.25

    結局、3時くらいに寝てしまい、なので9時半に起きて、映画の残りを眠いながらに観て、そのままカフェに行って、2時間くらいかけて分析を書いて、もちろんそんな分析など質は良くないのだけど、それでも1000単語くらいはぱぱっと書く訓練をするような感じ。

    奨学金の申込みが過ぎていたらしく、ちょうど忙しい2週間の合間を縫っていたらしい。少し焦るけど、これまでそれで死んだことはないから、なんとかなるだろうと思ってしまうのは、特権なのだろう。

    映画の授業は相変わらず刺激的なのだけど、やはりちゃんと寝ていないので、少し眠いアンド糖分が足りず、買ったクランチチョコもすぐなくなった。クランチチョコはけっこうおいしいし、好き。

    夜はシチューを作って、ご飯にかけて食べた。シチューライス。

    2024.4.25
  • 2024.4.24

    授業があって、5時間連続で授業をして、そこから映画を2本観た。水曜の夜はいつも翌日の授業のために映画を観るはめになっている。単純に前々から観ればいいのだが。それにしても『オールドボーイ』が面白すぎた。

    2024.4.24
  • 2024.4.23

    ふくらはぎがまだ痛い。筋肉痛って一日で治らなかったっけ?どうせ雨なので、自転車に乗らない口実ができた。

    指導教官に「クィア理論の授業とかないんですかね?」と聞いたところ、”You came to the wrong place”と言われた。ほんとうにそうなのかもしれない。クィア映画の授業のあと、教室にいた車いすに乗った高齢の女性と話していたけど、「クィア映画」の話になった。その人は『チョコレートドーナツ』という映画の後、感想を求められ、「セックスワーカー排除」と言っていて、それはぼくの口からは出てこなかった言葉だった。たしかに、その映画は白人のゲイカップルが薬物依存の母のダウン症の息子を引き取ろうとするが、ホモフォビアが蔓延る当時のアメリカで法律とその法を取り巻くホモフォビアに勝つことができず、けっきょくその息子は母の元に戻るが、育児放棄した母のもとを去った息子は死んで見つかる、というストーリーなのだが、薬物依存の母が一方的に「悪者」として描かれ、養子をもらおうとするゲイカップルを肯定的に描く。つまり、なぜ母が薬物依存に陥ったのか、という背景はまったく描かれない。もちろんこの映画じたい、ホモフォビアだけでなく、レイシズムや健常者主義といった複数のレイヤーを持つのだけど、たしかにドラァグクイーンであるルディの仕事仲間のことは描かれないし、薬物に依存する母もセックスワークに従事しているという描写がある。そのレイヤーが忘れ去られている。

    わたしたちは、ある映画を観た後、それがよかった、悪かった、それがどう良く、どう悪かったかを議論する。(いわゆる星をつけるフィルマークス的態度) 一方、アカデミアや批評の世界では、表面的な善悪の彼岸を越え、その奥にある意味や意図を読み取ろうとする。映画に関しては商業的な面があるので、そこもきちんと読み取らないといけない。それは非常にエリート的な身振りである。どっちもどっちだと思うし、ぼくはどちらかというと後者をしてきた、それを「良い」と思ってしてきた人間だから、そこにも善悪の判断があるわけだ。アカデミアでそういうことを考えられるかはわからないけど、考えなければいけないと思うし、映画はそれを考える良いメディアだと思う。

    23時過ぎに眠くなったので寝たら連続ではないけど12時間も寝てしまった。どうやら疲れていたようだ。

    2024.4.23
  • 2024.4.22

    新幹線でとんぼ帰り。ふくらはぎは筋肉痛だが、思ったより悪くはない。

    今日は授業の一環でクラス全体でLARPをやることに。教授がゲームスタディーズの専門で、特にライブロールプレイングゲームを研究している人なので、それで昼から夕方まで4時間そのセッションをした。疲れたけど楽しかった。役割と設定を与えられ、決められた条件のなかでその役割を展開していく。もちろんほかの登場人物に影響されながら、自分も相手を影響する。たしかにこのゲームには「演技」という言葉は似合わないのかもしれない。どちらかというと「展開」。自分自身と役割の境目が演技しているときよりも曖昧な気がする。べつにそこまで演技もしたことはないけど。

    2024.4.22
  • 2024.4.21

    サカナクションライブ当日。幕張メッセまで新幹線と特急を乗り継ぐ。特急に関しては乗る必要がなかったけど、少しだけ早く着くので、余分にお金を払った。

    幕張メッセには一度行ったことがある。子供の頃、ホビーフェアというのがあって、当時好きだったハイパーヨーヨーのブースがあり、それ目当てで2回くらい行ったと思う。よく覚えてはないけど、幕張メッセに着くと記憶が蘇った。懐かしい建物と配置。

    グッズも無事に買うことができ、ファンクラブの会員の抽選でメジャーをゲットしたり、調子よかった。チケットがよいのがとれず、いい場所で見れるわけではなかったけど、幕張メッセでサカナクションが見れることがうれしかった。音はいいことは知っている。

    1時間半以上MCがなく、アンコールでようやくMCがあるというサカナクションらしい構成。セトリはポップで、ところどころ泣かしてくる。とにかく幕張でサカナクションを見れていることに感動しまくっていた。2014年のときに見た最初のライブから比べて、サカナクション本人たちとの距離は離れた。物理的にも精神的にも。ただ、それでも安いとは言えないチケットを取り、新幹線に乗り、わざわざ幕張まで来て、翌日の昼には大学にいないといけないのに、それでも行くにはちゃんとした理由があって、その理由は正当なものだったことが証明された。あの2時間半、わたしはアリーナだけどライブハウスに行った気分だった。サカナクション本人たちは粒のように小さく見え、というかほとんど前の人たちの頭に隠れ見えなかったけど、なによりもライブハウスでライブを見たように踊り、跳び、汗をかいた。そして、それがしたかった。

    2024.4.21