2023.6

  • 2023.6.30

    エアコンを取り付ける業者が下見に来ていた。一人はポニーテールでジージャンにジーパンの、40代くらいの男が来て、そのあともう一人業者という感じのベージュの制服を着た、50代の男が来た。あいにくマンションの3階で、しかもエアコンと室外機をつなぐ管がどうも高所にあるみたいで、今日取り付け工事が行われることはなかった。あと一週間は扇風機で夜の暑さと戦わなければならない。眠っているときに戦うのはもちろんエネルギーを消費する。

    塾講師のバイトも順調で、前に応募した東京芸術祭のポジションも来週二次面接が控えている。いわゆる就職活動を経験していないし、1か月前まではアメリカで働いていたので、日本でのかしこまった面接は久しぶりだ。だが、すごく緊張しているわけではない。それはよいことだと思っておく。

    もう一年も半分を通り越した。だからなに、というわけでもないし、今から焦っても仕方がないのだけど、なにかに駆られる気持ちも少なからずある。だからといって、なにをするわけでもない。

    2023.6.30
  • 2023.6.29

    『ジェンダートラブル』が読みたいと思ったので、読んでいる。一応、第1章までは読んでいる筆跡があったけど、ところどころ読み飛ばしていた箇所や議論が明快でない箇所があったので、そこを中心に読んだ。ジェンダーが自らの利害でセックスを人工的に生産することを示した、数ページしかない第1章2節には感動した。一方でバトラーの「開かれた連帯」の議論(これは『アセンブリ』に通じる)には既視感があったし、それだけではシンプルすぎるだろ、とツッコミを入れたくなった。

    本にツッコミを入れることは無限にできるから、そういうツッコミはいつもメモとして残すように心がけている。それはその本を読んだその瞬間に思ったことだから、その本を次読んだときにはまた変わっているかもしれない。その変遷を辿りたいから、なるべく思ったことは書き残すようにしている。それを数年経って見返してみると、当時の愚鈍さや無知さに驚いたり、その無知さから飛び出す批判が意外と的を射ていたりする。もちろんそんな簡単に無知から知に移行するわけではないが、そのときそのときの自分の「知」を確認することは自分を観察するうえで興味深い。

    2023.6.29
  • 2023.6.27

    ポケットwifiの返却期限が今日までなので、返却しないといけない。ポストに翌朝の8時までに返却すればいいので、まだ返していない。なるべくwifiが使える時間を伸ばすかわりに、早起きしないといけない。だが、朝8時きっかりに配達員がポストの中身を回収するわけではないから、どうなのだろう。一応、アラームは7:59に設定しておこう。アラームといえば、iPhoneでアラームを設定するのだけど、いままで設定してきた時間が大量に残っていて、いまでは毎時間4、5個のアラームの時間がすでにあるから、すでにあるものに関してはオンにすればいいだけだ。中には0:19とか14:38とかキリの悪い時間もある。そのときはなんのためにアラームを設定したのだろう。想像してみる。

    2023.6.27
  • 2023.6.26

    引越してから、救急車のサイレンを聞くことが増えた。1日に3回以上は聞いているような気がする。今の家が大通りの近くにあるから、救急車がそこを通って病院に向かうのだろう。わたしはまだ救急車に乗ったことはないけど、いつか乗るときがくるのだろう。そのときはどんな理由で乗るのだろうと思う。患者としてなのか、それとも付き添いとしてなのか。いまの時期、熱中症や脱水で倒れても驚きはしないだろう、というくらいにこの部屋は夜中でも暑い。

    引越してから、はじめてクリーニング屋さんに行った。すごくフレンドリーなスタッフが対応してくれた。基本的にフレンドリーな人には好感が持てるが、今朝荷物を配達してきた人はすこし私事に入り込んで質問をして、けっこう気分が悪かった。フレンドリーにもいろいろあるようだ。わたしの思うフレンドリーとあなたの思うフレンドリーが違うと、わたしたちはフレンドになれない。なんとも難しい世界に生きている。わたしはいつもその世界で戸惑い続けるのだろう。

    2023.6.26
  • 2023.6.25

    6月ももう終わるのかという感慨は、夏の到来とともにこちらにやってくる。梅雨らしくない梅雨や冬らしくない冬を経たとしても、夏はいつでも夏らしい。夏はつねに夏だ。

    一週間が経つのも早い。日曜の夕方のテレビをつけてみる。久々にサザエさんをみてみる。じゃんけんはたぶん見逃した。じゃんけんなんて久しくやっていない。学校に通っていたときはなにかと競争に精を入れる人が多かったから、いつもその競争の前段階の競争を「平等」にじゃんけんで決めるわけだ。しかし、じゃんけんは残念ながら平等ではない。ただ確率が同じであるだけで、その結果が平等であるとはまったくもってかぎらない。だから、じゃんけんで決めたことがすべて、という人はなにかを勘違いしている。機会の平等と言っている人もそうだ。

    そういえば、今朝は手伝いである奨学金の説明会に参加したのだが、民間の奨学金はとくに機会の平等と結果の平等を実感させる場だとおもう。民間企業(あるいは一人のお金持ち)の奨学金は機会の平等も整ってないし、もちろん結果の平等もない。冗談で、奨学金なんてベーシックインカムのように(あるいは前澤社長のように)全員に配ればいい、と言ったけど、本気でそう考えている節もある。じゃあ、実際に奨学金を受け取る立場にあるとすれば、それを自分が他人に配るかというとそうとはならないから、民間企業の気持ちもわからなくはない(第一、そういったことは政府がやるべきだとわたしは思う)。

    あと、今の受験業界(という大きな主語を置いておく)で、親がバックで(もはやフロントで)子供をなんとか良いところに行かせようとしているのをみて、あまり気持ちがよくなかった。ほんとうにそういう人たち(というか「親」という存在)が理解できない。将来、誰かの親になる可能性がなくはないから、もしも親になったとしたら、そうしないという自信があるわけではないけど、とりあえずわたしはまだ「親」という存在の外にいたい。

    2023.6.25
  • 2023.6.24

    今日は浜松へ。電車で2時間超揺られる。外に出ると、電車の中との温度差を突きつけられる。最高気温は30度になると朝のワイドショーの天気予報士がレポートしていた。日焼け止めを塗るのを忘れた。なんにも忘れていないぞ、という気概を持って外出するとき、必ずといってもいいほど、なにかを忘れる。もはやわたしの忘却は病的だ。

    まずは鴨江珈琲でバナナミルクとチキンカレー(もちろん生卵は乗っている)。4時ごろに踊り場の小野さんと合流。わたしたちがツイッターと就活(つまりは政治であり、社会)に対する愚痴を吐露し、アートに救いを求めているのを店主は温かく見守ってくれた。6時前にカギヤビルに到着し、店仕舞いするギリギリでBOOKS AND PRINTSの中を廻る。店主の若木さんには申し訳ない感じで、帰り際にありがとうございますと言った。そして、3階のアートギャラリーmovement。弱冠20歳のキュレーターの一ノ瀬さんが出迎えてくれる。下馬評からの勝手なイメージで放浪者のような格好をしているのかなと思っていた(一時期、ブラジルに行っていたらしく、わたしは憶測で放浪をイメージしてしまったが、いろいろとバイアスがかった憶測だと今では思う)が、いたって普通の格好をしていた。でも、分厚い外国語の本を読んでいたのは忘れない。

    ちょうどmovementに入るまえに、踊り場の曽布川さんと出くわす。7時から彼によるAutism勉強会。哲学の概念としてのAutism。今夜は第3回だったので着いていけるか心配だったけど、なんとか曽布川さんの丁寧な読解と予備知識で少しは「スピノザの最短最速の知覚」を理解できた気がする。勉強ってやはり楽しいとなり、とりあえず家に帰ったら、箱にしまってある『エチカ』を取り出すと決めた。

    2023.6.24
  • 2023.6.23

    飛び飛びで授業が入る。塾と自宅とを行き来したから疲れた。帰りにケンタッキーでツイスターセットを購入。ツイスターはずいぶんと小さくなった。というか、ツイストされてないのに、どうしてツイスターなのだろう。

    いろいろ新しいことをやろうとするときは、ちゃんと計画したほうがいいということをなぜか今思った。僕は新しいことを始めるまえに気にすることがたくさんあるのだけど、それは逡巡であって計画ではない。計画を立てて、それを壊していくようなイメージ。

    明日は浜松に行く。踊り場の勉強会、人と会ったり、楽しみだ。

    2023.6.23
  • 2023.6.22

    東京都現代美術館で開催される予定の「あ、共感とかじゃなくて」のウェブサイトをみていた。なんとなく要旨はわかるというか、共感するというか、共感や想像力が問われる時代にある種の逆張りをおく狙いは理解できる。参加するアーティストも知らない人たちがほとんどで、展示される作品自体には惹かれた。しかし、なにか違和感を抱いたのはサイトに載っている文章の文体。

    中島伽耶子(なかしまかやこ)
    空間を大きく斜めに横切る黄色い壁は、暗い部屋と明るい部屋を隔てています。壁の向こう側の様子は、音や光でうかがい知るしかありません。相手を知ることはできますか?対話のテーブルにつくことはできますか?

    最後の二文で問われている問いの書き方がすこし奇妙な気がする。英語の文を直訳したような、なにかが欠けているように思える。あとは、永井玲衣のような文体。と、したにいくと、「関連プログラム」のところに「哲学対話」と書いてある。

    ★哲学対話
    展覧会で作品を見ながら思いついた「?」について、10人ほどのグループで考えたり話し合ったりする哲学対話を行います。じょうずに話せなくも大丈夫。答えのない問いを楽しむ時間です。

    合点がいく。この「じょうず」を漢字じゃなくてひらがなで書いているのも永井的だといえる。しかし、私の目は哲学対話ではなく、もう一つの関連プログラムである「ドラァグクイーン・ストーリー・アワー」にいった。すごく楽しそう、と思ったのだが、説明にいろいろと納得がいかなかった。

    ★ドラァグクイーン・ストーリー・アワー
    3歳から8歳のこどもに向けて、ドラァグクイーンが絵本の読み聞かせを行います。(ドラァグクイーンっていうのは、派手なメイクとキラキラのドレスでパフォーマンスをする人のこと)他の人たちと違っていても、ありのままの自分、自分らしい自分でいていいんだよ、と元気づけてくれます。

    まず文体からして、「3歳から8歳のこどもに向けて」の説明文だと予想がつく。「というのは」ではなく「っていうのは」だったり、「いいんだよ」という口調は多少上から目線感も否めない。そして、ドラァグクイーンの説明がかっこで入る。ドラァグクイーンとは「派手なメイクとキラキラのドレスでパフォーマンスをする人のこと」とのこと。まあ間違ってはいない。しかし、これがドラァグクイーンの定義としてこどもたちに教えたいのであれば、この定義は間違っている。この定義だけではドラァグクイーンの歴史や文化がとても矮小化されてしまう(「派手なメイクとキラキラのドレスでパフォーマンスをする人」はドラァグクイーン以外にもたくさんいるから、その人たちの中で特徴づけるのがなにかを明示しないとまったくもって説明になっていない)。ドラァグクイーンの歴史について説明しても、こどもたちには理解されないだろうという認識も、彼らをナメている。

    「他の人たちと違っていても、ありのままの自分、自分らしい自分でいていいんだよ、と元気づけてくれます」という部分も意味がわからない。ドラァグクイーンは異性装をしているわけだから、「ありのままの自分」ではない(ドラァグクイーンが戦略的に「ありのままの自分」ではない自分を装っていることはバトラーが言っている)。

    そんなことを思ったので、とりあえず書いておく。

    2023.6.22
  • 2023.6.21

    どうして日記を書いているのか自分でもよくわからないけど、生きていることを実感することはできるのかもしれない。

    今日は久々に昔、講師のバイトをしていた塾に行った。いつも通り塾長夫婦は優しく出迎えてくれて、早速小学2年生の宿題をみることになった。寿限無寿限無…の名前をひらがなで書写する国語の宿題、時計をみて時刻を答える算数の宿題、英語のリーディングとスペリング。僕が子供の頃にやっていたこととほとんど変わっていない。さすがに寿限無の名前を書写する宿題は出されなかったと思うけど。その寿限無の長い名前を書写するにも落ち着きがないし、集中力も切れるからほかのことに目がいく。それをうまい具合で集中力を保ちながらもモチベーションを続けさせなければいけない。これを日常的にしている小学校の先生に僕はなれないだろう。帰宅したらスーパーカップのバニラ味がすごく美味しかったので、それは疲れている証拠だったけど、精神的には無邪気な子供たちからパワーをもらったような気がする。

    2023.6.21
  • 2023.6.20

    とある実験をしていて、こう書くとバカバカしく聞こえるが、ヤクルトのY1000を毎朝飲んで、それでストレスや睡眠の質がどうなるかを観察している。昨夜は睡眠時間でいうと朝6時ごろに一旦目覚め二度寝してしまったものの、質をみれば睡眠は深かったと思う。生活するなかでストレスもそこまで感じなかった。今週はとりあえず毎朝飲む予定だから、楽しみである。けど、自分もこういう流行り?に乗ってしまうのだなとも思う。久々にヤクルトを飲んで、味は変わっていないと感じた。

    今日はポケットwifiが家に届き、通信制限から解放された。好きな動画を観れた。そして、東京芸術祭のポジションにも応募できた。でも、通信制限がかかっていたとき、SNSの写真がロードするのに1、2分かかって、こんな写真をみる時間があったらほかのことをすればいいのに、と何度も思った。「くだらない、くだらない、くだらない」と聴こえてくる(Bialystocks「Winter」)。所詮、他人の生活なんて気にしなくていいし、興味もないとわかっているのに見たくてたまらないのはなんでだろう。本当にくだらないのに。

    2023.6.20