2022.7

  • 2022.7.19

    今日まで2泊3日で京都に行ってきた。滞在最終日の今日はあいにくの雨。ホテルをチェックアウトしたら、土砂降りの雨。英語ではpouring rainと言うのだろうな、と思いながら、雨が止むのを待つ。一瞬タクシーを呼ぼうとしたが、観光、その街をよく知るには歩くのが一番だというわたしのモットーにしたがい、コンビニで長さ65cmのビニール傘を買って出掛けた。

    おなかが空いたので、カフェに立ち寄る。それはボゴタというカフェだった。おばあちゃんとその娘の2人できりもりしているみたいだ。テレビでは世界陸上がやっていて、織田裕二がすこしも老けていないこと、世界陸上がオレゴンでやっていること、京都・滋賀の一部の地域に大雨洪水警報が出ていることを知る。オレゴンでは相変わらず女子の走り幅跳びがやっている。京都・ボゴタでは、ひとりの青年がピザトーストとエッグサンドのダブル単品をたのみ、おとなりの夫婦に驚かれる。これでもまだ育ち盛りなのだ。どっちも完食。

    雨が止んだのをみて、カフェを出る。もともと二条城に行くはずだったが、予定を変更し(予定は変更し、変更されるものなのだ)、近くの古本屋「泥書房」に向かう。Googleマップを巧みに使わないとそこには辿り着けないというような場所に店を構える泥書房は昨年2月にオープンしたそう。「泥」というのはオーナーがツバメが巣をつくるためにいろんなものをかき集めるというところからつけた名前らしいが、正直よくわからなかった。それもそれで泥のようだったから、べつに気にならなかった。泥書房は短歌の本をおもに扱う。わたしは短歌に疎いので、寺山修司とかしか知らない。現代短歌はおもしろいし、じっさいにやってみたいと思うもののハードルが高い。というより、どこから始めればいいのかがわからない。現代短歌にとってのギターのCコードはなんだろう。

    そんなことを思いながら、気になったタイトルの本たちを手に取り、また棚に戻すのを繰り返していたら、若い店員さんが「どこから来たんですか?」ときいてきたので、「静岡からです」と答えると、そのまま話は弾んだ。その店員さんはもともと児童書の編集をしていて、現在は泥書房の2階にある現代短歌の雑誌の編集をしているらしい。短歌も児童書もよく知らないわたしは少々困惑して、言葉に詰まってしまったが、店員さんが紹介してくれた北山あさひの『崖にて』は魅力的だと思った。

    わたしはけっこう一期一会みたいなものを信じている人間だから、その店員さんが外出しているあいだに『崖にて』を買ってそのまま帰ろうと思った。あとからその店員さんはわたしがおすすめされた本を買っていって喜ぶだろうという希望を抱いて。しかし、そこにわたしは立ち会いたくない。立つ鳥、跡を残さずのごとく。そしたら、ちょうどその店員さんが帰ってきて、「迷惑じゃないといいんですけど」とわたしにクリームパンをくれた。はあ、すごい瞬間にわたしは立ち会ってしまった!すぐさまわたしは『崖にて』を購入したことを伝え、店員さんの名前を聞いた。聞いたことをすぐ忘れてしまうわたしなので、いまでもどっちだったか忘れてしまったが、この瞬間は『崖にて』とともに保存されるだろう。

    京都発ひかり512号東京行き クリームパンのクリームは飛び出し

  • 2022.7.13

    不確定な事柄をつぎつぎと確定に塗りつぶしていくことをしていて、それに疲れるときもあれば、それが必要だと感じるときもある。たとえば、コロナ以後、なにかとPCR検査を受ける機会がある。今日もそうだった。家から歩いて5分のところに無料のPCR検査所があることは知っていたので、せっかくだし行ってみた。小さなプレハブの建物の一角に部屋を構えたその検査所には先客がいた。10分くらい外で王位戦をみながら待っていると、スタッフが個人情報を登録するためのQRコードを持ってきた。スマホで登録を済ませると、ちょうど先客が帰っていったので、建物のなかに入った。スタッフがあのいつもの唾液採取の手順を一通り説明し、私は舌を動かしながら、唾液を絞り出す。2の目盛りまで採取したところで、容器にいつもの液を入れ、スタッフに渡した。

    検査結果は翌日か翌々日に判明するそうだ。少し遅いけど、仕方がない。むしろ無料でここまでやってくれることは、日本にしては意外だった。それこそニューヨークに行けば無料のPCR検査ブースが点在している(個人的には衛生上、使いたいとは思わないが、しかしあることにはある)し、アメリカ政府はコロナ対策という意味ではパターナルにやっていた。日本はコロナ対策におけるパターナリズムの欠如によって批判されていたが、いまではなんとか私の家の近所にも無料のPCR検査所が設置されている事実だけをみると、すこしは頑張っているんだな、と思った。

    そんなふうにして、私は不確定なことを確実にしていく。一年前に感じていた緊張感は、今年初めに感染した私にはもうなかった。しかし、一応やっておく、ということはある。それは自分にとって大切だということよりも、他人にとって大切なのかもしれない。まえ、VUCAという言葉を知って、バカバカしいなと思った。でも同時に、いま私が感じている不確定性がいまの時代(それが何を指しているかわからない)だけに特徴的なのかというと、そうなのかもしれない。それが客観的に正確なのかどうかはべつとして、たんに私たちが必要としているものを言葉としてつくり出すことで、それじたいで確定性、それによる安心感を得ようという作戦なのであれば、それは許容しよう。だとしても、毎日確定的な生活を歩むということは現実的に不可能であるわけだし、それを狙いたいとも思わない。そういう意味では、私はロックミュージシャンであり、ヒッピーであり、放浪者である。毎日お金のことを考え、一年先、いや一日先を心配し、それでもなんとか生きている。だからそれでいいが、それを可能にしてくれている政府のことはいつまでも許さない。

    2022.7.13
  • 2022.7.12

    日記再び。書くスタートダッシュをうまく切るには、書くことが必要だと感じ、再開することにした。書きたいことはある。8月末にアルバムを出すことを発表した岡田拓郎について。そして、8月にサービスを終了するcakesに関連し、書こうと思っているnote論。前者は約一年前から取り組んでいるが、なかなか軸が定まらない。困ったものだから、適当に置いておいたらなにかしら生まれてくるかな、と発酵させていたら、もう次のアルバムが出てしまう。発酵させすぎもよくない。後者のほうは突発的にWorkflowyに書き殴っていたら、まあまあな文字数になったので、ここはきちんと形に残そうという程度だが、自分が使っているものに直面することも大事だと思うから、そういう意味は込めている。このふたつの文章を駆動させるために、基本的には日記を再開する。

    今日はリヒター論を読みながら、音楽を聞いていたので、雨が降っていたことにはあまり気づかなかった。エアコンをつけっぱなしにし、外に出ていないと、外界との距離が大きくなるので、なるべく外に出ようとは努力するが、インドア気質であることを変えるまで努力しようとは思わない。実家の周りにはとくになにもないし、外出する金もないから、家にこもっているのが一番いい。部屋にはギターもあれば、本もたくさんあるので、弾きたいときに弾けるし、読みたいときに読める。翻訳の仕事も止まっているので、とくにやることがない。もちろん真の意味でやることがないわけではないが、実家にいると特段することがない。

    そういえばトリプルファイヤーの吉田くんがやっているYoutubeチャンネルの新着動画がよかったのでみてほしい。電気とガスが止められている部屋のなかで、ろうそくとたばこを点けながら、上裸でハイボールを飲み、ゼロからスタートできることを「お膳立て」してくれたことに感謝するさまは、熱帯夜のようにむさ苦しい笑いを届けてくれる。これをみてると、お酒を飲みたくなる。冷蔵庫には母親がお中元でもらったヱビスが冷やされているが、これを飲むと眠くなって寝てしまうから、やっとのところで踏ん張る。疲れたときのビールが一番おいしいから、それを待っている。今日はなにもしていないし、疲れてもいない。吉田くんのように極限状態にあるわけでもないから、お酒は控える。

    最近はいつも熱帯夜だが、今日は雨が降ったので比較的涼しい。だから今日はエアコンを消して寝てみよう。明日は王位戦だから、早く起きねば。