2023.9

  • 2023.9.19

    東京芸術祭のOnline Sharing Sessionというのがあって、それでパソコンの前に合計4時間いた。パフォーマンスはどれも興味深くて、文章を書くためにいろいろとメモを取りながら、こういうことが書けるかもと頭を巡らせていた。直前で糖分を補給しようとコンビニで買った抹茶ラテが変に甘く、ほとんど飲まなかった。

    そのあと、自転車で職場に向かい、授業をして、また家に爆速で戻って、オンラインの授業をしていると、すでに夜の9時すぎで、そこからお風呂に入ったり、夕食を済ませたりする。まあまあ大変だったし、TOEFLを受けた土曜日から自分としてはハイスピードで動いている。明日も仕事だし、お昼くらいまでには文章のラフも書かないといけないので、カフェで作業することになるだろう。明後日少しストップをかけよう。

    今日の午前中はといえば、最近合間合間に聴き始めた友人のポッドキャストを聴いている。ポッドキャストはほとんど聴かないけど、知っている人がやっているのはよく聴く。友人がスピーカーを通じて他人と話す声はどこか奇妙な雰囲気が漂う。私も一回だけポッドキャストに挑戦したことがあって、たぶんいまだにネットの海のどこかに漂っている。しかし、ジングルやマイクを用意したり、構成を組んだり、リスナーとの関係を築いたり、ただ話すだけでもいろんなことをしないといけないし、しかも自分一人でやろうとしていたので、さまざまなところで無理があった。あと、自分は声がポッドキャストむきじゃない気がする。声も低い方ではないし、深くもない。聴き心地のよい声とはいえない。しかし、その友人の声は少し低く、若干ハスキーだからちょうど心地よく、もう一人の人との声と対比をなすので、そういう意味で二人の掛け合いが理解しやすい。上坂あゆみもANNに出ていたとき、ずっと書く仕事をしてきたから、しゃべりたいと言っていたが、まだ私はそこに至るまで量を書いていない。とりあえずいまは書くことにする。誘われたらやるかもしれないけど。

    2023.9.19
  • 2023.9.18

    原泉で1泊した。意外とよく寝れたけど、よく考えれば5時間半しか寝なかった。量より質なのかもしれない。いや、両方大事。

    流れで浜松に行く。ギャラリーがあって、そこで展示がやっていて、ちょっと興味があったので、せっかくだから浜松に寄ろうとなったけど、そのギャラリーは土日しか空いておらず、それ以外はアポイントメント制だったのを知らなかった。結局、知り合いと気になっていたコーヒーショップに向かう。外見も中もただおしゃれで、やっている人もいろんな人たちと友達で、都会的だと思った。おしゃれなデザインのグッズもたくさんあって、タンブラーはアメリカのブランドのものにそのお店のデザインがおしゃれな色で描かれていた。コーヒーは普通においしかったし、おしゃれだった。

    三連休なので、さすがに電車も新幹線も混んでいる。なによりも暑い。暑いというより湿っている。もう9月も後半だというのに。

    2023.9.18
  • 2023.9.17

    掛川は原泉に向かう。原泉でアーティストインレジデンスの活動をしているところで、知り合いが哲学サロンを開くので、誘われた。掛川駅からバスで30分ほどで着くと、そこは道路だけがやけに整備されている山間部で、少しだけ平地より涼しい風が吹いていた。階段を降りたところには小川が流れていて、子供たちが遊んでいる。栗が落ちていて、その子供たちのお母さんが言うには、猪がよく栗を食べにくるそうだ。栗の殻は硬いが、猪は問答無用に砕き割るのだろう。

    夕食をアーティストたちと囲んで食べる。しらすとさつまいもが入ったトマトソースペンネ、サラダ、マクワウリという静岡では有名な瓜(だが、静岡県民の私はその存在をはじめて知った)は知り合いがつくってくれた。夕食後のアーティスト夫婦の子供とトランプの大富豪を一回だけ遊ぶ。その子供は早く寝ないといけないと両親に言われ、ごねていた。こういう光景をみるのも経験するのも久々だ。いつどこへと消えてしまったのだろうか。

    アーティストが去ってから、知り合いとレジデンスを運営している方と深夜1時くらいまで話す。アーティストをいろんなところから集めるが、オープンコールはしないとか、レジデンスという有限性の空間、5日で「人生が変わった」と感じるアーティストのことなど。自分が5月まで働いていた対話プログラムと近しいところが随所にみられて、自分の関心の延長線上にあるのかもしれない。最近はもっと自分の身体を外にさらさないとな、というようなことをひしひしと感じていて、それもあってこういうところに滞在してみて、手伝ってみてもいいと思ったりするけど、それにはかなりのエネルギー量が必要で、身体的にも精神的にも疲れる。そこの塩梅はいつも難しい。

    2023.9.17
  • 2023.9.16

    朝7時に起床し、TOEFLを受けに本厚木に行く。5年ぶりのTOEFL、特段準備したことはないけど、時間に間に合うようにだけは注意を払った。時間に間に合わなければ、払った3万円もの受験料が無駄になるからだ。やけに目覚めがよかったのもそのせいだったのだろう。しかし、慣れていない早寝をしたことでなかなか寝付けず、結局睡眠時間は短かった。TOEFLは無事受けることができた。出来は5年前に受けたときとはあまり変わらない気がした。アメリカに5年間いてもTOEFLの実力は変わらないのだ。

    恵比寿の眼鏡屋さんで眼鏡を受け取りにいく。珍しいフレームの形をした眼鏡で、ずっと欲しかったので、一週間前に大金をはたき買ったものだ。フレームが高かったので、レンズは一番安いオプションにしたのは、すこし恥ずかしかったが、そう言っていられないことがある。すごく似合っていると店員さんに言われ、お世辞だけど嬉しかったし、自分もすごくとは言わないものの、かけているうちに馴染んでくるのかな、と思う。

    横浜で後輩と飲む。久しぶりに会ったけど、あまりそういった感じがしなかった。最後にいつ会ったのかよく覚えていない。行きたかった日本酒のバル的なところに行けたのでよかった。そこは壁一面に各地の日本酒の瓶が並んであり、そこから気になるものを選んで、グラスに注いでもらうシステムになっていて、それじたいがひとつのスペクタクルだった。壁一面に50種類以上の日本酒が並んでいるので、どれを飲むかを決める基準が、四象限にわかれたグラフ(それぞれの軸に淡麗・まろやか、華やかさ・あと最後は何か忘れた)におかれた点と瓶のラベルのビジュアルしかなかった。でも、自分の選んだのはすべて美味しかったので問題なかった。

    2023.9.16
  • 2023.9.15

    昼からカフェに行って作業。結局、最初の30分くらいをネットサーフィンに費やしてしまうが、そのエネルギーが作業にうまく備給してくれた。エナジーフロー。カフェで作業をするといっても、やはり二時間くらいが限界で、カフェの人たちも訝しい表情で私のことをみてくる時間帯だと思うから、お会計をしてカフェを出る。カフェに長時間いると迷惑、みたいなことを聞いたことがあるのだが、もちろん人で混雑しているときはそりゃ回転率が悪くなるから店側として迷惑だろうけど、もし私が店員だったらとくに気にすることもないだろう。回転率が上がったところで給料は変わらない。待っている客からしたら十分迷惑であろうけど。

    バ先(バイト先のことをそう言うらしい、というともう若者ではない気がしてくる)で残りの作業を終わらせ(作業が真に終わったことはない、作業は次々と産出される)、仕事をする。21時に仕事が終わると、ちょうどこの塾の卒業生がきていて、その人は貿易関係の仕事をしているらしく、来月アメリカに行くから私に州法のリサーチやら通訳やらを手伝ってほしいと。10月末にアメリカの日本大使館でパーティーをするらしく、ぜひ手伝ってほしいと言われた。ほう、塾で働いているとこういうこともあるのか、と思いながら、とりあえず連絡先を交換した。今後少なくとも5年は行かないだろうと踏んでいたアメリカに来月行けるかもしれないとなると、自然と気分は高揚してくるが、まだ私はこの卒業生のことをなにも知らないし、どんなことをやっているのかも知らないので、そこは慎重に行くべきだ。一応、「バイト代」を出してくれるとは言っていたものの、航空券は自分で買え、と言われる可能性もなくはない。そうやって、私もこういう新事業みたいなものには訝しい表情をしてきた(訝しいとは実際どういう意味なのだろうか?)し、誰かが新しく事業をつくるというのはかならず利害や利権がからんでくる(誰かが得をしようとしている)ので、そういうところを注視しないといけない。でも、そんなことばかり考えていると私みたいになにもできないやつになってしまうから、多少の身体的な切断(千葉雅也)も必要なのだ。

    そんな話を仕事終わりの21時に巻き込まれるから、連絡先だけ交換し、明日は朝が早いので、とその場を抜け出してきた。実際、明日の朝は本厚木でTOEFLを受けてくるので、朝早く起きないといけない。

    2023.9.15
  • 2023.9.14

    昨日はあまり好感触をもてなかった東京芸術祭のための文章だけど、今日になって無印ノートに黒のサラサ0.5ミリボールペンでメモをしながら、文章じたいはUlyssesとScrivenerで行き来しながら書いていたら、またパソコンとスマホを交互に駆使しながら書いていたら、なんか進んだ気がする。ただ既定の文字数を大幅にオーバーしている。ただ、あるものをなくしていくのは、ないものを生み出すよりも比較できないくらい簡単だ。プラットフォームをソフト・ハードともに変えることで、切れ切れな集中をなんとか保つことができているような感じがする。

    もらいもののローストビーフを食べた。すごくお高いらしいから、よく噛みしめて食べた。いわゆる霜降りがすごくて、高いものは美味しいのだな、と改めて感じた。でも、多くの安いものも美味しいから、それだけの問題ではなくて、美味しいか美味しくないか、それが問題なのだ。ローストビーフの箱に入っているパンフレットの、よくあるご質問という項目に、いろいろ怖いことが書いてあった。たとえば、交雑牛より血統が江戸時代から続いている牛の肉のほうが美味しい(それが松坂牛といったブランドになっているわけだが)とか。血統という言葉はハリーポッターとナチスしか使わないものだと思っていた。

    2023.9.14
  • 2023.9.13

    なんだか冴えない1日だった。東京芸術祭のための文章もあまり進まず、結局明日以降に書くことにしたし、仕事もとくに変わりはなかったのだけど、無駄に脂っこい夕飯を食べてしまった(ストレス性の過食もある)せいであまり調子がよくない。心を落ち着かせるために聴くアンビエントもあまり効果がない。年金の催告状もきていたし、いつかは免除の書類を出さないといけないのだけど、まだ出せていない。延期に延期を重ねる。

    2023.9.13
  • 2023.9.12

    昨日の日記は一行日記みたいになってしまったので、ある人に「それってあなたの感想ですよね?」と言われそうだが、それはそうであって、だからといってとくになんの問題もないと思う。じゃあ今日は長く書くといえば、さっきまでほかの文章を書いていたので、そしてそれもずっと手を動かしていた(それは文章を書くうえでよいサインであることが多い)ので、疲れたといえば疲れた。しかしながら、疲れているなかからなにかが出てくることもあるのかもしれないと気になる僕もいるわけだが、疲れたときは寝たほうがいい。それはそうと決まっている事項である。パワーナップというものがあって、前の上司が仕事中によくそれをやっていて、彼の場合はレムかノンレムかどっちか忘れたけど、それに入るまでにかかる7分のあいだ仮眠するらしい。しかし、寝つきがよくない僕にとってはそれはただ目をつぶっていることに変わりないと思ってしまう。7分で「寝れる」わけがない。あと、パワーナップのパワーのところもよくわからない。つまり、なかやまきんに君と仮眠との相性がすごく悪いということが大いに影響しているのかもしれないが、仮眠をとってパワーが出るという意味で言っているのか、力づくで仮眠をとって、力づくで仕事に取り組むという意味で言っているのか、よくわからない部分がある。どっちにしてなんだか嫌だと感じる。ぱわー。

    だから、疲れたら休めばいいと思うし、根本のレベルから言えば、あまり疲れるまで物事をしないほうがいいのではないか、と思うけど、みんなの場合はわからないけど、僕の場合はなにかを一度取り組み始めると集中してしまうことがある、それで水分をとるのを忘れたりすることがある、ので、それで一気に疲れてしまい、もうなにもできないとなって、ベッドのうえでなにもしないで、そのままぼおーっとすることが少なくない。僕は疲れたら休むけど、なぜかそうしない人も周りにいたりする。僕はエナジードリンクを人生で一回しか飲んだことがなくて、これはまったく自慢のつもりで言っているわけではないし、エナジードリンクを毎日飲んでいることも自慢にはならない。コーヒーとかはよく飲むけど、それは朝の眠気を消すためであって、物事に取り組むなかで邪魔な眠気を消すために飲んでいるわけではないし、エナジードリンクにかんしては味も美味しくないし、財布に優しくないし、たぶんお酒を飲まない人にとってのお酒のようなものなのだろう。

    こんな駄文を書くくらいだったら、寝よう。

    2023.9.12
  • 2023.9.11

    一日中、トートバッグを右肩にかけていたので、右肩が痛い。すぐに治るといいけど。

    2023.9.11
  • 2023.9.10

    現代美術館でホックニー展、「あ、共感とかじゃなくて」展、コレクション展をみる。ホックニーはあんまり好きじゃないという第一印象があったけど、実際に彼の初期作品をみてみると、ピカソ/ブラックのキュビズムとマティスのフォーヴィズムがうまく融合して、そこにホックニー独特の歪みというか、クィア性がある。2階で彼についての本を読むまで、ホックニー自身がゲイであることを知らなかったけど、たしかに「The Third Love Relationship」での欲望の取り扱い方をみれば、彼のクィア性は明らかだった。それが今のホックニーの作風=iPad絵画に反映されているかといえば、あまりそうではないのだが、それはそれであって、私はそれはあまり好きではなかった。

    「あ、共感とかじゃなくて」展はすごく楽しみにしていた展示で、それこそネットでもいろいろと話題になっていた。展示じたいはこじんまりとしていて、発想が豊かな作品が多かった。武田力が滋賀の伝統的な舞踊を練習して実際にずっとそれをやってきた人たちと一緒に踊るという映像作品はとくに私の関心をひいた。なんか参加して踊りたいという気持ちになった。それは共感なのかわからないけど、べつに共感してもよいのではないか、と思ったり。

    一番の目玉だったのは、コレクション展の横尾忠則の展示だった。とにかく彼のいろいろな作品があって、圧倒された。4年前くらいに瀬戸内芸術祭で豊島に行ったとき、横尾忠則美術館に行ったことを思い出す。いま改めて彼の作品をみると、彼の発想がぶっ飛んでいることに加え、そのぶっ飛びが彼なりの文化や宗教の解釈によって支えられていることがわかり、なんだか一人興奮していた。とにかくすごかったので、人におすすめしてまわりたいほどだ。

    夜はビアリストックスのライブをEX THEATER ROPPONGIで。初めての箱だったけど、音響もよく、高さと広さもあって、いまはなきZepp Tokyoを彷彿とさせた。コンテンポラリージャズ、ロック、カントリーなどさまざまな音楽を吸収しながら、人々を揺らす。歌詞が心をつかみ、こんなふうに人を動かす文章を書きたいと思ったし、家に帰ったらすぐにそれに取りかかろうと思った。それしかなんだか生きていける気がしないのだ。社会が押しつぶすのに抗うために。

    急に決まった、友人との飲み。烏龍茶割りを飲みながら、いろいろと話す。元気をもらう。お酒からと友人の笑顔からと。いろんなことをやっていて、私もいろんなことをやりたいと思う。いろいろやっていいと思うし、所詮他人はそれをすることを気にかけないし、気にかけたとしてもすぐに忘れるだろう。結局は他人事だから、自分も気にしない。無駄なものにエネルギーを使わないことが吉であるときもある。のびのびとやっていく。とりあえず演劇がやってみたい。まずは劇団に入ればいいのだろうか。

    2023.9.10