2023.9.26

秋風が気持ち良いと思っていたら、まだまだ夏を感じる日差しだし、それを残暑と表現した最初の人はなかなかやるじゃん、と思う。朝はエアコンをかけなくてもちょうどよいくらいの気温だけど、昼になると暑くなってきてエアコンをつけるけど、それで少し寒くなったりして、けっきょくエアコンで生ぬるい風を送っている。こういうふうにして人生もうまくいかないものだ。くすぶる感じというか、特段大きな変化はないのだけれど、やはり淋しさが基底にあって、それがついては離れない。そういうときには大きな変化を起こすということでどこかほかの場所に移動したり、髪型や髪色を変えたり、部屋の模様替えをしたりするといいのかもしれないけど、移動するのにはエネルギーが必要だし、それがたくさんあるというわけではない。だったら、動かないということになる。

動かないときは動かないから、必要に駆られて動くということを設けないといけないということで外に出て働いたり、カフェに行って作業をしたり、そういう物理的な移動を施すことによって淋しさを紛らわすことができるし、それでしか紛れることがないのだろうが、人はずっと動けるわけではないし、やはり淋しさは感じてしまう。

『親密さ』の後半、演劇の部分。演劇じたいの終わり方は淡白だったけど、あれでよいと思ったし、映画の最後が強いから、演劇の終わりが強くてもおかしくなると思う。複雑な家族関係、「軽い女」であるということ、トランスジェンダー、身体の境界線、手紙が届かないということ。ゆきえがしんのすけ宛の手紙を、電話越しに佳代子に読むシーン。ゆきえの手紙は衛によって破られ、しんのすけのもとには届かない。しかし、ゆきえが唯一の友達だと思っている佳代子のもとには届いた。しんのすけとすれ違いざま、衛は「死にたい」と聞きづてならないことをつぶやく。衛はしんのすけが佳代子のことが好きであることを知り、ゆきえのラブレターを破る。手紙を破ることは暴力であるが、暴力は暴力を受けた側が暴力であると認識しない限り暴力ではない、と衛は自身の書いた詩を悲観的に朗読する。知らなければよい、という悲惨な現実を無情なほどに突きつけてくる衛を演じる良平は2年後に義勇軍として戦争に参加する。私が彼に同情するしないにかかわらず、選ぶ自由を行使した衛=良平は最後まで彼らしかった。