2022.10.22

なかなか文章が書けないと思っているということは、自分のなかで文章が書けること、もっと言えばいい文章が書けることが、文章を書きはじめる前に存在しているということだ。その前提を取っ払う。すでにもっているものを取っ払うことは難しい。unlearnという言葉がある。アメリカのリベラル左派のあいだでよく使われる言葉で、とくに差別につながるような偏見を取っ払うという意味をもつ。たとえば、ある人が人種差別的な言動や行動をとった場合、その人はその言動や行動のもとにある偏見をunlearn=脱-学習することをすすめられる。しかし、すでにもっているものをそう簡単に取っ払うこともできない。なにかこの言葉にわたしは違和感を覚える。

自分のなかにある文章の型というか形式にとらわれずに文章を書くということは私にはもうできない。それは過去を抹消することだから。一歩間違えれば歴史修正主義ともなりかねない。過去のもとでなにをするのか。言えることは、文章を書くことをやめないということ。文章を書くことじたいを否定されたら、もはやわたしはなにももたない。そこまで用意周到でないわたしにプランBなどというものはない。そのうえでなにをするのか。文章を書き続けることをやめない。書くことでわたしはなにを伝えられるのか。だれにも読まれなくてもいいからとにかく書くことをやめない、とまでは言い切れないが、読んでくれる他者というみえない存在に対して、わたしはかすかな希望を抱いている。希望はそこにしかない。learnをlearnで覆していく。There’s no turning back.