2024.4.19

この日記でもそうだと思うのだが、よくある日のことを「運が悪い」と表現することがあって、今日はそんな日だったと思う。というのも、まずやる気がない、というか今日一日なにがしたいのかわからないということ。授業も予定もなんもないことの怖さ。そして、使っていた手帳が終わったので、新しいものを買いたいと思い、文具店を4つくらいはしごしたけど、どこにも見当たらなかったこと。そして、映画を見ようと思ったけど、ネット予約の時間が過ぎてて、店頭では現金のみの支払いだったこと(わたしはいま手持ちの現金がゼロに近い、京都は現金社会だというのに)。

ただ、今日のハイライトはあって、それは偶然立ち寄ったお店の人との会話とKG+の写真。前者のほうは、偶然入ったお店で文具店かなと思ったら、高級文具店で、しかも話を聞くと文具店ではなく、ハンドメイドで手帳や万年筆を作っているところだと言う。わたしが手帳を探していると言うと、ここには「手帳」はないと言われ、あるのはハンドメイドの革と紙でつくられた「素敵を集める」手帳だと。ここに来るお客さんはみんなこのいわゆる手帳を何年もかけて自分のものにしていくと言い、それはお店の人の人生観の話へと続く。30分以上彼女の話を聞き、わたしは最初この高級な手帳を買わせようとしていたのではないかと怪しんでいた自分のことを恨むような気持ちになった。そのお店の人は、わたしがまだ、このお店に来るべきではないと言わんばかりであった。逆に言えば、そのお店に来るべきときがいつかあるかもしれない、と。わたしはバカだった。頭を硬いもので叩かれたような気がしたが、お店の人の言葉はやさしく、硬いものとは正反対だった。ただ、彼女の言葉には芯があり、重みがあり、人生があった。

安藤忠雄建築のTIME’Sという建物は高瀬川のすぐ横に建てられている。そこはKYOTOGRAPHIEとKG+の会場で、とくにKG+のいくつかの写真たちに強度を感じて。まえの飲み会で一緒だった荻野さんの作品も練られていて興味深く鑑賞したし、Post-colonial Tigerと冠された写真群とパッションフルーツと冠された写真群がとくによかった。空間もうまく使われていて、安藤建築の冷たさが多少暖かく感じられた。