• 2024.4.26

    2限の授業でもきつい。数分遅れてしまう。それも単位のための授業というか、指導教官がもう一つ授業を履修したほうがいいと言われ、しかももっと査読してくれる教授の候補を増やしたほうがいい、との理由でとっている。内容はオートエスノグラフィと映像分析なので、興味はあるところなので、あまり消極的でもない。しかし、授業は学部生向けで講義。しかも、基本的には文献を読んで、それの方法論なりを要約するという、リサーチベースドの授業だ。そりゃ学部生向けだからそうだろう。しかし、あまりおもしろいとはいえない。もちろん世の中にはおもしろいだけでやっていけない部分が多々あり、おもしろいものはそれらおもしろくないことによって引き立つ、という考え方もできる。そして、それには同意する。

    岡崎のほうでランチ。オムライス(中)。薄い卵にたっぷりのケチャップライス、の上に相当煮込んだと思われるデミグラス。やはり有名だというだけにおいしい。卵の存在感は薄いので、バターの効いたケチャップライスとデミグラスソースを食べている感覚。

    京セラ美術館でKYOTOGRAPHIE。潮田の写真は線、川内倫子の写真は光、印象派、エモさ。帰りにバナナスムージー。

    新幹線で東京。のぞみはこの期間はすべて指定席。学割を使うので、窓口で往復分を買う。チケットを用意するのが早い駅員さんに感謝する。

    東京で演劇のワークショップ。すごくおもしろくなりそうだ。京都から行くかいがあると感じる。何かが生まれそうだが、何が生まれるかはわからない感覚。

    2024.4.26
  • 2024.4.25

    結局、3時くらいに寝てしまい、なので9時半に起きて、映画の残りを眠いながらに観て、そのままカフェに行って、2時間くらいかけて分析を書いて、もちろんそんな分析など質は良くないのだけど、それでも1000単語くらいはぱぱっと書く訓練をするような感じ。

    奨学金の申込みが過ぎていたらしく、ちょうど忙しい2週間の合間を縫っていたらしい。少し焦るけど、これまでそれで死んだことはないから、なんとかなるだろうと思ってしまうのは、特権なのだろう。

    映画の授業は相変わらず刺激的なのだけど、やはりちゃんと寝ていないので、少し眠いアンド糖分が足りず、買ったクランチチョコもすぐなくなった。クランチチョコはけっこうおいしいし、好き。

    夜はシチューを作って、ご飯にかけて食べた。シチューライス。

    2024.4.25
  • 2024.4.24

    授業があって、5時間連続で授業をして、そこから映画を2本観た。水曜の夜はいつも翌日の授業のために映画を観るはめになっている。単純に前々から観ればいいのだが。それにしても『オールドボーイ』が面白すぎた。

    2024.4.24
  • 2024.4.23

    ふくらはぎがまだ痛い。筋肉痛って一日で治らなかったっけ?どうせ雨なので、自転車に乗らない口実ができた。

    指導教官に「クィア理論の授業とかないんですかね?」と聞いたところ、”You came to the wrong place”と言われた。ほんとうにそうなのかもしれない。クィア映画の授業のあと、教室にいた車いすに乗った高齢の女性と話していたけど、「クィア映画」の話になった。その人は『チョコレートドーナツ』という映画の後、感想を求められ、「セックスワーカー排除」と言っていて、それはぼくの口からは出てこなかった言葉だった。たしかに、その映画は白人のゲイカップルが薬物依存の母のダウン症の息子を引き取ろうとするが、ホモフォビアが蔓延る当時のアメリカで法律とその法を取り巻くホモフォビアに勝つことができず、けっきょくその息子は母の元に戻るが、育児放棄した母のもとを去った息子は死んで見つかる、というストーリーなのだが、薬物依存の母が一方的に「悪者」として描かれ、養子をもらおうとするゲイカップルを肯定的に描く。つまり、なぜ母が薬物依存に陥ったのか、という背景はまったく描かれない。もちろんこの映画じたい、ホモフォビアだけでなく、レイシズムや健常者主義といった複数のレイヤーを持つのだけど、たしかにドラァグクイーンであるルディの仕事仲間のことは描かれないし、薬物に依存する母もセックスワークに従事しているという描写がある。そのレイヤーが忘れ去られている。

    わたしたちは、ある映画を観た後、それがよかった、悪かった、それがどう良く、どう悪かったかを議論する。(いわゆる星をつけるフィルマークス的態度) 一方、アカデミアや批評の世界では、表面的な善悪の彼岸を越え、その奥にある意味や意図を読み取ろうとする。映画に関しては商業的な面があるので、そこもきちんと読み取らないといけない。それは非常にエリート的な身振りである。どっちもどっちだと思うし、ぼくはどちらかというと後者をしてきた、それを「良い」と思ってしてきた人間だから、そこにも善悪の判断があるわけだ。アカデミアでそういうことを考えられるかはわからないけど、考えなければいけないと思うし、映画はそれを考える良いメディアだと思う。

    23時過ぎに眠くなったので寝たら連続ではないけど12時間も寝てしまった。どうやら疲れていたようだ。

    2024.4.23
  • 2024.4.22

    新幹線でとんぼ帰り。ふくらはぎは筋肉痛だが、思ったより悪くはない。

    今日は授業の一環でクラス全体でLARPをやることに。教授がゲームスタディーズの専門で、特にライブロールプレイングゲームを研究している人なので、それで昼から夕方まで4時間そのセッションをした。疲れたけど楽しかった。役割と設定を与えられ、決められた条件のなかでその役割を展開していく。もちろんほかの登場人物に影響されながら、自分も相手を影響する。たしかにこのゲームには「演技」という言葉は似合わないのかもしれない。どちらかというと「展開」。自分自身と役割の境目が演技しているときよりも曖昧な気がする。べつにそこまで演技もしたことはないけど。

    2024.4.22
  • 2024.4.21

    サカナクションライブ当日。幕張メッセまで新幹線と特急を乗り継ぐ。特急に関しては乗る必要がなかったけど、少しだけ早く着くので、余分にお金を払った。

    幕張メッセには一度行ったことがある。子供の頃、ホビーフェアというのがあって、当時好きだったハイパーヨーヨーのブースがあり、それ目当てで2回くらい行ったと思う。よく覚えてはないけど、幕張メッセに着くと記憶が蘇った。懐かしい建物と配置。

    グッズも無事に買うことができ、ファンクラブの会員の抽選でメジャーをゲットしたり、調子よかった。チケットがよいのがとれず、いい場所で見れるわけではなかったけど、幕張メッセでサカナクションが見れることがうれしかった。音はいいことは知っている。

    1時間半以上MCがなく、アンコールでようやくMCがあるというサカナクションらしい構成。セトリはポップで、ところどころ泣かしてくる。とにかく幕張でサカナクションを見れていることに感動しまくっていた。2014年のときに見た最初のライブから比べて、サカナクション本人たちとの距離は離れた。物理的にも精神的にも。ただ、それでも安いとは言えないチケットを取り、新幹線に乗り、わざわざ幕張まで来て、翌日の昼には大学にいないといけないのに、それでも行くにはちゃんとした理由があって、その理由は正当なものだったことが証明された。あの2時間半、わたしはアリーナだけどライブハウスに行った気分だった。サカナクション本人たちは粒のように小さく見え、というかほとんど前の人たちの頭に隠れ見えなかったけど、なによりもライブハウスでライブを見たように踊り、跳び、汗をかいた。そして、それがしたかった。

    2024.4.21
  • 2024.4.20

    明日のサカナクションのライブのために帰省。スーツケースに荷物を詰め、といってもあまり詰めるものもない、新幹線に乗る。乗る前にコーヒーが飲みたいと思ったので、ポルタのカフェに行くが、列があり、でも時間はあるから並んでおく。一人だったので、席があって、そこに座る。コーヒーとショートケーキのセット。コーヒーはあまり味がなく、でもケーキはおいしく、パソコンで新幹線の時間まで作業。

    新幹線の窓から富士山が見える。なんか見覚えがないなと思っていたら、雪の量が明らかに減っている。1ヶ月見ない間にずいぶんと変わるもんだ。

    実家には誰もいなく、すべてが大きくみえる。部屋も洗面器も、シャワーヘッドも太い。安心感がある。

    実家でも、1ヶ月使っていなかったベッドは硬く、寝れない。結局3時くらいまで作業してしまい、眠りも浅かった。小学生の遠足の前日よりも寝れない。

    2024.4.20
  • 2024.4.19

    この日記でもそうだと思うのだが、よくある日のことを「運が悪い」と表現することがあって、今日はそんな日だったと思う。というのも、まずやる気がない、というか今日一日なにがしたいのかわからないということ。授業も予定もなんもないことの怖さ。そして、使っていた手帳が終わったので、新しいものを買いたいと思い、文具店を4つくらいはしごしたけど、どこにも見当たらなかったこと。そして、映画を見ようと思ったけど、ネット予約の時間が過ぎてて、店頭では現金のみの支払いだったこと(わたしはいま手持ちの現金がゼロに近い、京都は現金社会だというのに)。

    ただ、今日のハイライトはあって、それは偶然立ち寄ったお店の人との会話とKG+の写真。前者のほうは、偶然入ったお店で文具店かなと思ったら、高級文具店で、しかも話を聞くと文具店ではなく、ハンドメイドで手帳や万年筆を作っているところだと言う。わたしが手帳を探していると言うと、ここには「手帳」はないと言われ、あるのはハンドメイドの革と紙でつくられた「素敵を集める」手帳だと。ここに来るお客さんはみんなこのいわゆる手帳を何年もかけて自分のものにしていくと言い、それはお店の人の人生観の話へと続く。30分以上彼女の話を聞き、わたしは最初この高級な手帳を買わせようとしていたのではないかと怪しんでいた自分のことを恨むような気持ちになった。そのお店の人は、わたしがまだ、このお店に来るべきではないと言わんばかりであった。逆に言えば、そのお店に来るべきときがいつかあるかもしれない、と。わたしはバカだった。頭を硬いもので叩かれたような気がしたが、お店の人の言葉はやさしく、硬いものとは正反対だった。ただ、彼女の言葉には芯があり、重みがあり、人生があった。

    安藤忠雄建築のTIME’Sという建物は高瀬川のすぐ横に建てられている。そこはKYOTOGRAPHIEとKG+の会場で、とくにKG+のいくつかの写真たちに強度を感じて。まえの飲み会で一緒だった荻野さんの作品も練られていて興味深く鑑賞したし、Post-colonial Tigerと冠された写真群とパッションフルーツと冠された写真群がとくによかった。空間もうまく使われていて、安藤建築の冷たさが多少暖かく感じられた。

    2024.4.19
  • 2024.4.18

    朝の授業が立て続けになくなって、うれしい。昼からカフェで2時間くらいイム・グォンテクの『西便制』についての映画分析を書く。2000単語と言われていたが、さすがに2000は書けず、1500くらいで提出する。授業での議論はやはり刺激的で、知らないことを知る快感がそこにはある。やはり履修してよかったと思う授業。なにより先生が詳しいのと熱心なのがいい。

    明日は予定がないので、せっかくだからとお風呂に湯を張って浸かる。そのまえにお風呂を掃除。安めの缶ビール。明日はなにをしよう。やることはたくさんあって、優先順位をつけるのが難しい。

    2024.4.18
  • 2024.4.17

    いまさっきゴミを出してきたのだが、わたしの住んでいるアパートのとなりは居酒屋で、3時までやっているので、2時くらいにゴミ出ししても灯りがついていて、店の前には何台か自転車が置いてある。しかも、月曜の夜もそんな感じだから、みんな楽しんでるんだな、と思いながらゴミを出しにいく。

    課題のために昼は映画を観て、そしてバスで大学まで向かい授業を受け、立命館までバスで行き、自転車を取って帰った。立命館は京大とはまったく違って、とにかく新しい。ボストンカレッジの雰囲気がすこしする。ただ、建物の名前が道徳的な二字熟語なのが個人的にはあまり気に食わない。ただ、めっちゃきれいで、まあまあ辺鄙なところにある。京大は汚いというわけではまったくないのだけど、建物が少し古いので、どちらかというとオーバリンっぽいのかと思いきや、建物には特徴がなく、総合研究n号館というぼやけた名前は非常にわかりづらい。

    自分のやりたいことにあまり時間が費やせていないのが、気分が落ち込んでいるひとつの理由なのかもしれない。いろんなものが次々と降ってきて、テトリスでピースがひとつ待機しているように、まだ待機しているものもいくつもあるが、いまはこの瞬間降ってきているピースをどこに当てはめようか悩んでいる最中で、待機しているピースを見ている暇もない、そういう心の状況。

    2024.4.17